http://yzkak.namidaame.com/ [Honey**]


愛を持っている

「煮詰まってるねぇ、お若いの」

よっこらせと口癖みたいに(と言うか、自分が言ってるのも自覚してないんだろうな)呟きながら、山中のじいさんが、俺の隣に腰を下ろした。
くゆらせていた煙草を空き缶の中に落として消す。じじっと短い音がして、かすかに焦げたにおいが上ってきた。
夢見荘の階段の裏側の狭いスペースは、ここ数年の俺の喫煙所兼息抜き空間だ。
宗太至上主義とかしている宗佑のおかげで、俺は自分の家のはずの202号室でさえ、煙草を吸えなくなった。

「そう言うじーさんこそ、どうなのよ」

ふぉっふぉっふぉと昔話に出てくるじいさんそのままの笑い方で、じいさんが肩を揺らす。

「ノブさんは溜め込むからねぇ」
「なに、そういう風に見えるの、俺は」

ははっと乾いた笑いを漏らして、本日の最後の一杯と発泡酒を呑みきった。あぁだめだ。いまいち今日は酔いきれていない。

「今日はどうしたんだい、どっちの宗ちゃんが原因かね、大きい方の宗ちゃんかな」
「どうなんだろうねぇ」
「なに、じじいは耳が遠いんだ。言いたかったら地蔵だと思って、呟いてくれたらいいさ」

同じ夢見荘に住んでる人間は、みんな身内みたいなもんなのさと、おおらかにじいさんが息を吐き出した。11月も半ばで夜更けとなると、吐く息は白い。

「どうなのかねぇ」

俺はもう一度同じ言葉を吐き出して、空を見上げた。宗太がここに来てもう何年だ。5年近くになるんだな。それだけの時間を過ごしていたら当たり前に情がわく。
あいつがかわいくないわけじゃない。もちろん邪魔に思ったわけでもないし、宗佑を放り出したくなったわけじゃない。でもただ時たま、そばにいるとふっと思うときがある。あ、だめだ、しんどい。
それだけだ。でもだからと言って、あいつらと離れた未来を想像する気は起きなくて、ちょっとだけ吐き出す。

そうしたらまたいつも通りの明日が始まるわけで。

「宗ちゃんは、ノブさんには甘えん坊だからねぇ」
「俺もそれが楽しいんだからいいんだよ」
「余裕があるときはそうなんだろうなぁ」
「宗佑はさ、好きとか嫌いとか、たぶんもうそういう次元じゃないんだよ。なんつうの、俺は居て当たり前って。そうなってるんだろうね、あいつの中では」

それは嬉しいと思うことの方が多いんだけど。

「そりゃぁ、宗ちゃんは幸せだ」

かっかっかと笑って、じいさんはまた「よっこらせ」と呟きながら立ち上がった。

「ちっさい宗ちゃんもきっと幸せだろうさ、でもねぇノブさん。自分に満足してないとねぇ、大丈夫なつもりが、気づいたときにはもうだめになってしまうもんだよ」

良い影響を与えあえる関係じゃないとね、なかなか難しいねぇ。
諭すように言ってじいさんは、そのままじいさんの部屋に戻って行った。丸い背中を見送りながら、俺は腰元に置いていた煙草の箱から、一本を新たに取り出して口にくわえた。

幸せ、ねぇ。

べつに本当になんてことはないのだ。
ただ宗佑の隣には確実に宗太の居場所はある。でも、俺は? そこにあるの。
あるとしたらそれはいつまであるの、それともこれからできるのか。宗佑はよく言う。あの子はいつまで俺の隣にいてくれるんだろうねぇ。
そんなの知るかよ、だっていつか子どもは大人から離れてくもんだろうし、そうあるべきだろうよ。それでも親子なんだから、つながりは残るし、いつでも会えるじゃないか。そういうもんだろ?
それが、宗佑には分からない。それとも親子と言う枠じゃ嫌だという頑なさなのかね。

そんな風に思ってしまう瞬間ってのが、存在してしまう。
いつもだったら流してしまえるそれが、時と場合によってはしんどく感じてしまうこともあると言う、言ってしまえばそれだけなのだけれど。

――分かってるのに、な。

「タカノブ」
「なに、宗太?」

降ってきた幼い声に吸い差しを風下に下げて顔を上げる。そこには想像していたとおりの宗太の顔があって、思わず小さく笑ってしまった。それが気に食わなかったらしい小さな王子様は、ふてくされた声を出す。

「そーすけ、落ち込んでたよ」
「それでおまえが来たわけ、ここに」
「タカノブは絶対、俺に言ってくれないって拗ねてた。なんでもかんでも一人で解決しちゃうんだって」

そんなこと小学生に愚痴るなよなぁと思いながら、宗佑に言って抱えられるだけの甲斐性があったらいくらでも相談するんだけどねと告げてみた。と、微妙な顔で宗太が押し黙る。返す言葉がなかったらしい。
「冗談だって」と宗太の頭を撫でまわして立ち上がる。
俺には落ち込む時間もあまり与えられてないらしいと思いながら、手元の残りを空き缶に放り込んだ。それの行く先を、宗太の視線が追いかけ続けている。

「興味あんの?」
「ううん、そーすけ嫌がるし。でも父さんが俺に隠れてたまに吸ってた気がするんだ、煙草」
「隼人くんが?」

それはちょっと意外だった。吸ってたんだ、隼人くん。宗太が隼人くんの話をするのも実は本当に珍しい。宗佑の前じゃ、絶対にしないしな。

「俺にはばれてないつもりだったんだろうけどさ、匂い残るからね、そのときは何なのかなって思ってたけど。タカノブが吸ってるの前見てさ、あぁこれだったのかって」

美味しいの? と細い眼を興味深そうに大きくして、宗太が俺を見る。
その切れ長を隼人くんによく似てると宗佑は笑うけど、実際どうなんだろうなと俺は思う。俺の記憶の中の小さな隼人くんと似た髪型の宗太は、確かに重なるところも多いけど。

「俺は、そこまで美味しいとは思わないけどね」
「じゃあなんで?」
「美味しくないからやってみたいってことも、大きくなるとあるんだって」

ふーんと宗太は考え込むように眉間にしわを寄せた。

「戻るか、どうせ宗佑拗ねてんだろ? しょうがないママのご機嫌伺いに参りましょうかね」
「今日は、クリームシチューだって言ってたよ」
「そっかそっか、そりゃ楽しみだな」

古びた階段を上る音がカンカンと響く。クリームシチューは、秋吉兄弟の冬の定番だ。だから必然的に俺にとっても懐かしい味になっている。
そしてそれはこの子にとってもいつか、思い出の味となるのだろう。そのとき、宗太はどこにいるんだろうな。誰か大きくなった宗太が好きになった人と、一緒にいるんだろうか。それともまだここで宗佑のそばにいるんだろうか。

「タカノブ」
「んー?」
「タカノブは、……」

そこから先を言いよどんだ宗太に、俺も促しはしなかった。なにを聞きたいのかは分かるような気もするけれど、はっきりと知りたいとは思わない。それは、俺にとっても答えを出すのはまだ少し難しいものだ。

「そうた」
「……なに?」
「宗佑、待ってるからな」

ご飯、楽しみだな。くしゃりとかき混ぜた宗太の髪の毛は、もう夜なのに日向のにおいがする気がした。子どものにおいだ。
このまま、ただの愛されるべき子どもでずっといてくれるのなら、俺はきっと――。
そんなことあるわけないだろと、何度も何度も宗佑に言っているのは俺なのに。宗佑とはまた違う理由で、俺はそれを望んでいるのかもしれなかった。

宗太の小さい手がひっそりと俺の服の裾を引く。それに応えて少しだけ階段をのぼる足を止めた。絡んだ視線の先で、宗太は柔らかくほほえんだ。その顔が宗佑にも似ていて、そうだよなこいつらは血が繋がっているんだよなと思う。

「宗太、宗佑のこと、好きか?」
「――……うん、好きだよ」
「そっか」
「でも」
「ん?」
「タカノブも好きだよ」

真剣な瞳でそう言った宗太に、自然と笑みがこぼれた。あぁもうしょうがないな。こいつも宗佑も、俺も。

「……俺も宗佑もおまえも好きだよ」
「帰ろうよ、タカノブ」
「帰ろうな」

宗佑の待っている暖かい部屋に。


俺と宗佑と隼人くんは、同じ施設で育った。親は居なかった。
施設の環境はそこまで悪かったわけではない、職員の人もそれなりには優しかった。でも俺はやっぱり宗佑と隼人くんがうらやましかった。同じ血の繋がりがある二人が、ずっと。

ずっとずっと、宗佑の隣には隼人くんがいた。
隼人くんが中学を卒業して、俺たちより3年早く施設を出るそのときまで。宗佑を頼むな、こいつ甘えん坊だから。
そう言って寂しそうに笑った隼人くんの顔が俺は忘れられない。

だから、と言うわけじゃないけど。俺はもうずっと、宗佑を見てきていた。
隼人くんの代わりを気取るつもりはない。できれば隼人くんを越えたかったんだけど。
でもそれを俺が越えられないのは仕方がないところはあるかもしれない、そう思えるけれど。宗太にとられるのは、ちょっと悔しい。
そうならないよう俺は俺で、したいようにするだけだ。

でもなんでなんだろう、俺の頭はいつだって、宗佑が幸せであってくれればそれでいいと、どこか思ってしまっている節がある。
敗因があるとしたら、たぶん、これだ。
恋を凌駕して、愛に近い。それも、無償の、だとかそんなこっぱずかしい形容が付く感じの。


「ただいまー、そーすけ。タカノブ捕まえてきたよ」
「お帰り、宗太。孝信も、ご飯にするよ」

きしむドアを開けた宗太の頭越しに見えた室内は、おいしそうなにおいと暖かな空気に包まれていて、柄にもなく胸が締まった。

「ただいま、宗佑。心配してくれたの?」
「おまえは俺に言わないけどな」
「いえることは、ちゃんというよ」

信用してないわけじゃないんだからと、言外に匂わして靴を脱ぐ。
その先で、宗佑が穏やかに小さく笑った。


【END】

お付き合いくださりありがとうございました!