http://yzkak.namidaame.com/ [Honey**]


硝子のエデン

じゃらん、と嫌な音をたてて頭上で鎖が揺れた。

何度見ても変わらない現実を、それでも夢であればと言う一縷の希望で、目線を持ち上げる。
けれど視界に映り込んだのは、ベッドヘッドに繋がれた鈍色の手枷で。加納雪久は、声にならない溜息をもらして、目を伏せた。
なんとかこの戒めから逃れようと暴れるのは、もう諦めた。

何度試みても、頑丈なそれは外れるどころか、雪久の肌を傷つけるだけだった。――それに、逃げようと抵抗していたことがばれると、あの男はひどく怒るのだ。
綺麗な顔に静かな怒りをたたえてひっそりと笑う。「お仕置きされたかったの」そう嘯かれて、何度無体なことをされたのかは、もはや思い出したくもない。

――なんで、こんなことになったんだろう。

それこそ、この部屋に囚われるようになってから、何度考えたか分からない。けれど、一向に答えは出そうになかった。

「っ……ふ、……」

身体に埋め込まれた淫具が、不意にぶぶっと振動音を立てて震え始める。
以前の自分だったら、感じるはずのなかった快感が背筋を駆け抜けていく。そのもどかしさから逃れるように、雪久は頭を振った。

この数日であの男に慣らされてしまった身体は、後孔からの刺激だけで、反応を示すようになってしまっている。けれど、その熱を放つことは叶わない。雪久の中心は、悪趣味な赤いビロードのリボンで根本から先端まで丹念に戒められているのだ。

薄いシャツ一枚を羽織らされただけの格好で、雪久はもうずっとベッドに拘束され続けている。
手首は頭上で、脚は大きく開いた形で固定されている。膝を立て、M字開脚を強制されるように足首と太股とを括りつけられていた。
身動きを封じられ、自分だけではどうすることもできない快楽に、雪久はきつく眉根を寄せた。
やり過ごした熱は、行き場を失って身体中を巡り続けている。先端からは、堪えきれなかった密がぽたぽたと零れ落ちていく。

――もう、止めてほしい。

そう叫びたいのに、ボールギャグを噛まされ、言葉を奪われている雪久には、それさえもできないのだ。


光を遮断する暗いカーテンが引かれたこの部屋は、時計もなく時間の変化がひどく分かりづらい。
放置され始めて、もう何時間も経ったような気もするけれど、実際はもしかしたら一時間も経過していないのかもしれない。

夕方には戻ってくるから、良い子にしててね、と。がんじがらめに拘束したくせに、優しいと勘違いしてしまいそうな手つきで髪の毛を撫でて行った男の顔が脳裏に浮かぶ。
帰ってきてほしくないと思う心で、早く帰ってきてほしいと願う。
自分を閉じこめて辱めているのはあの男なのに、自分をこの苦しみから救ってくれるのもあの男だけなのだ。

ひどく、屈辱的な矛盾だと思う。



「――ただいま」

澄んだ声とともに、永遠と思える時間、雪久を閉じこめていた扉が開いた。
薄暗かった室内に灯りがともる。はしたなく濡れそぼっている秘部が丸見えになっているのを隠そうと身じろいでみたけれど、それは新たな刺激を作り出しただけにすぎなくて、雪久は小さく呻いた。

そんな雪久の些細な抵抗に、侵入者は微笑を洩らした。ゆっくりと雪久が囚われているベッドに腰掛け、汗ばんで額に張り付いていた前髪を優しい手つきでかき分ける。

「っ、ふ……う、ん――!」
「ごめん、何言ってるのか分かんないや。寂しかったの?」

どこまでも優しい口調のまま、男の指先が頬に降りてきた。そうじゃない、と必死で雪久は視線で訴える。つ、と指の腹が口の端に触れる。飲み込みきれず溢れ出た唾液を掬って、男は自分の口にそれを運んだ。

「ねぇ、寂しいんじゃなかったらなんだったの? また、ここから逃げ出そうとでも思ってた?」
「ひぁ……ふっ、ふぁあ……っ」

違う、と言いたかったはずなのに、言葉にならない。何も伝えられないもどかしさと怒りを溜め込みながら、雪久はもう一度強く、自分を捕えている男を睨みあげた。

「ふ……う!」

理玖、と。自由にならない舌で男の名前を懇願するように叫ぶ。まだ少年の色を強く残した顔に、大人びた笑みを男は浮かべた。

「駄目。外してあげない。だって兄さん、嘘吐きだからさ。だから、俺、兄さんと会話したくないんだ」

何を理不尽なと思った瞬間、後孔におさまっていた玩具が急に動き始めた。たまらず、雪久の身体が跳ねる。がしゃんと耳障りな金属音が響いて、雪久は悶えた。
理玖が、学生服のポケットから取り出したリモコンで、内部で暴れまわる淫具を操作したのだ。息も絶え絶えに睨むと、理玖は愉しそうに喉を鳴らした。

「本当、兄さんは気が強いよね。この状況で、まだそんな目をするんだ」

理玖の指先が、ずっとせき止められたまま張り詰め続けている自身に触れた。それだけで、雪久から苦痛の声が漏れる。

「昨晩からずっとイってないよね。ねぇ、イきたい?」

くちゅっと先端を理玖の爪先が擦る。強い刺激に、さらに派手に鎖が鳴る。けれど雪久は必死で首を振った。

「イきたくないんだ。本当、兄さん、嘘吐きだね。あぁ、それとも兄さんは淫乱だから、せき止められたままでもイけるのかな」
「っ、……ふ、あ……んっ」

そんなわけがない。快楽から逃れるためなのか、否定のためなのか、自分でも分からなくなりながらも、雪久は頭を枕に擦り付けた。

「兄さんは嘘吐きだ」

歌うように理玖が吐き出す。「嘘ばっかりだ」

その声が、たまらなく苦しそうに聞こえて、雪久は視線を緩慢に動かした。快楽に堕ちていきそうになっている視界の中心で、義弟は笑っていた。

「ずっと、俺の傍にいるって、言ったくせに」

苛むように理玖の指が張り詰めている先端を弾く。
堪えきれず漏れた悲鳴は、どうしようもなく甘い響きを伴い始めているのが分かって、雪久はギャグボールに歯を立てた。

こんなの、おかしい。
その間にも、前立腺に当たるよう調整された淫具は、雪久に過ぎる快感を与え続けている。
苦しさに耐えかねて、眦から涙が零れ落ちかけた瞬間、理玖の手が中心から離れて行った。

「ふっ……ん……?」
「バイトは辞めるって連絡しておいてあげたから。大学は――、行かなくていいよね?」

どこまでも優しいような口調で、自分と少しも似ていないきれいな笑みを義弟は浮かべた。

「兄さんが素直になるまで、俺がここで躾けてあげる」

――ふざけるな!

叫びたかったはずのそれは、掠めていく刺激で嬌声に変わる。そんな雪久を見つめて、理玖は柔らかく微笑った。

「じゃあ俺、課題やってくるから。終わるまで兄さんもゆっくりしてて」

信じられない言葉を残して、ドアから出て行こうとした義弟を、呼び止めかけたくなった衝動を呑みこんで、目を閉じた。
なんで、こんなことになったんだろう。

ぐるぐるとまわり続けている疑念は、あっという間に身体中に走る甘い疼きにかき消されていく。



そんなあやふやな脳内で、幼い理玖が笑っていた。

両親の再婚に伴い、雪久と理玖が兄弟になったのは、雪久が小学6年生で、理玖が小学4年生の春のことだった。
美しい母親によく似た可愛らしい顔を、無表情で覆い隠していた理玖に初めこそ取っ付きにくさを覚えたものの、いつしか理玖は雪久に懐くようになった。
何をするにも一緒で義兄の後ろを突いて来る理玖を、両親は微笑ましく見守っていたのを雪久はよく覚えている。
ずっと一人っ子だった雪久にとっても、理玖はかわいい存在だった。

けれど、理玖の雪久への依存は、理玖が中学生になっても高校生になっても収まらなかった。収まらないどころか、ひどくなってきているように感じてさえもいて、だから、雪久はわざわざ家からは通えない大学を選び進学したのだ。
義弟が自分から離れ、独り立ちしてくれるように。

そしてそれは義弟にとっても良いものであると信じて疑っていなかった。


……そうだった、はずなのに。


「ん、ふ……」

抑えきれない疼きに自由にならない身体を必死で身もだえさせながら、雪久は激しくかぶりを振った。


――ずっと、傍にいるって言ったじゃないか。なのになんで兄さんは俺から離れようとするんだ。

最初の晩、そう責めるように告げた理玖の声は、泣いているように聞こえた。

戒められて好き勝手されているのは自分だったはずなのに、している理玖の方が苦しそうな気がしてしまった。
可愛かった義弟が、捨てないでと縋りついてくるのを、拒めるはずなんてないのに。理玖は寂しそうに微笑むのだ。


――間違っている。

おかしい、と。

そう分かっているはずなのに、緩やかに思考はここからの逃避を諦めかけている。

これは一種のストックホルム症候群なのだろうか、と馬鹿なことを考えながら、雪久は閉ざされたドアをただ見つめていた。


【END】

お付き合いくださりありがとうございました!
本番到達前と言うなんともなところで終了で大変すいません……! 続きはもしかしたら書くかもです(´・ω・`)