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馬鹿な子ほどかわいい《1》

野崎祥平の不幸は顔の良さに起因して、そして顔の良さによって回避されている。

文にするとなんとも矛盾している。だがしかし、その矛盾さもまた、野崎祥平と言う男を称するにあたって適しているように思えるから、つまりそう言う星の元に生まれてきた男なのだと、野々宮真尋は思うことにしている。

……なんというか、自分自身の精神安定のためにも、そう思うことにしているわけだ。


「なぁ、祥平」

思わずそんなことを考えてしまうくらいには、目の前の光景はちょっとあれだったわけだが、いつまでも観察しているわけにもいかないので声をかけてみる。
と、ベッドの上で、上体を起こした体勢で固まっていた黒い頭がのそりと動いて、野々宮を親の仇のごとく睨みつけてきた。

「言うな、なにも言うなよ、おまえ。マジで頼むから何も言うなよ」
「いや、名前呼んだだけだけど」
「そ、そうか。そうだよな」
「いや、って言うかさぁ、祥平。ケツだいじょ、」
「だぁー! 言うなっつってんだろ、このボケ!」

叫んではたと我に返ったのか、祥平の頭が布団に落ちた。
基本、鉄仮面を地で行っているこの男にしては珍事なことに顔が青かった。
なにこれ面白い。呑気な感想を抱きながら見守っていると、祥平がおもむろに頭を持ち上げた。

「痛くない」

ぼそりと吐き出されたそれに、「いや、嘘だろ」と内心で盛大に突っ込んだが、口には出すのは寸で止めた。

「痛くない。断じて痛くない。良い朝だな。な、ミヤ」
「……うん。良い朝だね」

さっきからざぁざぁ雨降ってますけど。めちゃくちゃ窓、雨に叩かれてますけど。
ドアに手をかけた状態のまま、ちらりと見遣った先で、六年来の悪友が言葉と裏腹に死にかけている。
いやまぁ、俺的には良い朝でしたよ。でもおまえ的にはどうなのよと思わなくもない。
だが、思うだけである。

にこりと微笑んでみたところ、祥平も微かに口角を引き上げ返してきた。
見事に引きつっていた上に、世間から「顔だけは極上」と評されている端正な顔は疑う余地もなく青白かったが。

「トイレ」
「着いていこうか、俺?」

腹を摩りながらよろよろとベッドから起き上がった姿が憐れで、うっかり声をかけてしまった野々宮だったが、ドアを通過する際に、ぎろりと睨まれただけだった。

「手伝おうか、俺?」
「死ね、変態! いや、違う。違うから。あれだ。腹下しただけだから、うん。大丈夫」

いや、だから俺の所為で腹下したんじゃないの、と追い打ちをかけるより、よたよたと前かがみになりながらも祥平がトイレに辿り着く方が早かった。
バン! と勢いよく閉まったドアに、もう一声かけようかと思案したのも束の間、ぎゃあっと小さな叫び声とともにゴンと盛大に頭か何かを個室内でぶつけたらしい音まで聞こえてきて、止めた。
憐れだ。そしてちょっと、いやかなり面白い。

とどのつまり、そう言うことだ。
顔だけは良いのにね、と溜息交じりに評される、知人の誰もが生ぬるい目で見守る駄目人間は、高校時代からの悪友である野々宮とのまさかの朝チュンを全力で否定したいらしかった。



【1】



「俺、今度の相方は恋愛対象外が良いんだわ」

心底うんざりした顔で、祥平が漏らしたのが今から約三カ月前の話である。

「おまえ、本当、ひとりで生きていけないね。ウサギちゃんか何かですか」
「ちげぇよ。俺はただ、愛と共に生きたいだけだ」

カッコつけて言っている割に、数分前の台詞と全く内容が一致していない。
中身も大概臭いのに、こいつがやるとなまじ顔が良いだけに「痛い」ではなく「素敵」になるところがまた許しがたい。

「あぁはいはい。そうでしたね。雄太くんに振られておうち出ていかれたばっかりの祥平くんは傷心なわけですよね」

投げやりに相槌を打って、二月の外気によって温いを通り越して冷たくなりかけているコーヒーに口を付ける。
なにゆえこのくそ寒い時期に、屋外席で男二人向き合っているかと言えば、ひとえに目の前の男の所為である。

女の子たちで込み合った店内で、無駄に目立つ外見をしているくせに、一切お構いなしにとつとつと野郎同士の別れ話のごたごたを吐き出すのだから、付き合わされるこちらが溜まったものじゃない。
針のむしろを繰り返すこと三回で野々宮もいい加減学習した。こいつの愚痴は人気のない場所で聞くべきだ。

「言うなっての。あー、もう俺がなにしたってんだ。この野郎」

さらさらの髪の毛を乱雑にかき混ぜてテーブルに撃沈した悪友を見守ること約五分。
大方の予想通り、むくりと持ち上がった。

「つまり、まぁそう言うわけだ」
「いや、祥平。さすがにそれは俺でも分かんないわ」
「いやいやいや、分かるだろ。だっておまえ俺と違って、読める空気持ってるじゃん」

いや、さすがの俺でも空気持てませんけど。と思わなくもなかったが、おそらく突っ込みどころはそこじゃない。

「結局あれでしょ、まだ次のルームシェアの相手が決まらないから不貞腐れてるんでしょ?」
「分かってんじゃねぇか」
「分かりたくて分かってるわけじゃないんだけど。祥平が毎回毎回、愚痴愚痴俺に言うからでしょ」

高校三年間同じクラス、大学は異なるものの十キロ圏内。高校一年の時からつるみ出して、そろそろ丸五年である。
その人形染みた無表情の下で、何を考えているのかぐらいの見当はついてしまう関係に落ち着いている。

「俺、別にそんな選り好みしてねぇんだけど」
「はいはい、そうかもね」
「ゲイで。いやゲイじゃなくてもいいけど、俺の性癖というか恋愛事に対していちゃもん付けない奴で」
「あー、まぁそこは重要かもね」
「で、一緒に居てしんどくない程度には気の合う奴で」
「そんなこと言うくせに、おまえ、いっつもよく知らない相手と一緒に暮らしだすじゃん」

祥平の外見だけに惹かれて近づいてきた相手と、ふらふら一緒に暮らしだして、うやむやに恋愛関係にもつれこんでいく様を野々宮は何度も見てきた。
そしてすぐに振られるまでが、残念ながらこの男の様式美である。最新の捨て台詞は「この顔面詐欺!」だった。聞いた瞬間、腹筋が死んだ。

「だから。だから今度は恋愛対象外の奴が良いって言ってんだろ」

唸るように口にした祥平に、「大進歩だ」と野々宮は軽く感動さえした。

「うわ、自覚あったんだね、って言うか、懲りれて良かったね」
「なのに見つからないんだけど、これ」
「まぁそのうち見つかるんじゃない? やけになって適当な人選ぶのだけはやめときなね、いい加減」

心の底からのアドバイスだったが、祥平は眉間に皺を寄せて黙り込んだ後、ふっと野々宮を見た。心なしか目がきらめいている。

「なぁ、ミヤ」
「んー、なに?」
「おまえ、バイだよな」
「なにを今更」

適当に答えてから、ん? と野々宮は会話を反芻した。なんかこれ、よろしくない気がする。

「おまえ、今のアパート更新した?」
「いや、まだだけど……って、え、なに。俺、誘われてんの?」
「うん」
「うんって、え? マジで?」

真顔で首肯されて、野々宮は思わず二度見した。無表情だが分かる。マジだ。

「え、えー? 俺?」
「おまえは俺の条件をことごとく満たしてることに今気づいた」
「それおまえ側の特典ばっかじゃん。俺にはなんか特典ないの、それ」
「部屋広くなんぞ。そっちの大学にも便いいぞ」

あ、ちょっとそれいいな、と揺らぎかけたのが分かったのか、祥平がここぞと畳み掛けてきた。

「なんなら引っ越し代、折半してやってもいい」
「……なにそれ、なんでそんな俺に引っ越してきてほしいの。まさか祥平、実は俺のこと好きだったとか、そういうオチ?」
「な、わけねぇだろ。おまえ、俺の話、聞いてなかったのか?」

訳が分からないとばかりに首を振られて、がくりと肩が落ちた。さすがだ。読める空気を持っていない男は、良くも悪くも予想を裏切りやがらない。

「だから男がイけて、そこそこ馬が合って、恋愛対象外の奴がいいっていってんじゃん、俺」
「なにそれ。なんでそんな自分は間違ったこと言ってない風なわけ。っていうか俺、一応いろんな人にかっこいいよねって褒められるんですけど。なんでその素敵な俺が対象外!?」

そんな評判の俺の顔を、真顔で数秒凝視したのち、祥平は「好みじゃない」と切って捨てた。
えぇ知ってますとも。おまえの好みは小柄で可愛らしくて、いかにも「自分は可愛い!」ってよくよく理解しているタイプの小悪魔ちゃんでしたよね。
そしてそれにころっと騙されるんですよね。

だがしかし、言い捨てて若干申し訳なさが勝ったのか、お願いしている立場だと言うことを思い出したのか、

「好みじゃねぇっつか、そもそも俺ら立ち位置同じじゃんか。俺、おまえに突っ込みたくはないし、おまえだって俺に突っ込みたくはないだろ」

とフォローしてきた。

一瞬、「過去に何度かむらっときたことがあります」と言う自身の黒歴史が片隅から引っ張り出されてきたが、露見することはなく再度封印された。

だってこいつ、顔だけは可愛かったんだもん、昔から。


とつとつとルームシェアの素晴らしさを語り聞かせてくる悪友の真摯な顔を半笑いで聞き流しながら、でもなぁと野々宮は想像してみるのだった。

基本が寂しがりな末っ子なところのある祥平と違って、野々宮は基本的にドライである。
赤の他人とシェアをすると言うのならまだしも、いくら仲がいいとはいえ、むしろ良いからこそ、友人とシェアをする人間の気がしれないと考えている節もある。
だって、絶対嫌なとこ見えてくるだろ。友人だからこそ言えないこととかも出てくるだろ。
その点、赤の他人だったらきっかり割り切れると思うけどさぁ。

と言うか、それが出来てないからものの見事に、こうなってるんじゃんねぇ。

こう、と。ほいほいシェアの相手を擦り寄ってきた人間に決めて、身体関係を持つに至って、別れてシェアを解消されて、を大学に入学してからかれこれ五回は繰り返している目の前の悪友に、「やっぱ止めとこうよ」と口を開きかけたのを見計らったかのように、

「それに、なんつうか」

と、祥平がそろそろ丸五年を終えようとする付き合いの中でも数回しかお目にかかったことがないような、笑みを見せた。はにかみだ。大変貴重なはにかみ笑顔だ。

「おまえといるの、楽だし、俺」
「え、……あ、そう?」

絆されたと言うよりかは、驚きすぎた。もしくは、やたらぐいぐい押してくる祥平の勢いに押し込まれたのかもしれないけれど。
野々宮としたことが、気づいたときにはルームシェアを開始する流れになってしまったのだった。
パッと見いまひとつ変化のない無表情ながらも、祥平が嬉しそうなのが分かってしまうこの状況で、「やっぱなし」と言えるほど、野々宮は冷徹にできていなかった。

……まぁ、いいか。

だってこいつ、放っといたらまた変な子連れ込みかねないし。
それだけならまだしも、いつか本当、変なおっさんにぱっくり食われそうな気もするし。

つまりあれだよ、放っておくのも心配だし。腐れ縁の情けだし、と心中で言い訳と言うか自分を納得させるべく事案を延々繰り返しながらも、あれよあれよと準備が進んで、野々宮は祥平とルームシェアを開始することになっていた。


大学三年目の春が近づこうとしている、冬の終わりだった。

お付き合いくださりありがとうございました!