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馬鹿な子ほどかわいい《2》


【2】


「ただいまー、って……あれ。今日、ご飯、俺じゃなかったっけ?」

シェアを初めて早三ヶ月。もうすっかり口から出るのに慣れてしまった言葉と共に、2DKの部屋のドアを開ける。と、カレーの匂いが漂ってきた。

自炊をする気だったから、片手に下げているエコバックにはずしっと重みがある。
まぁ、そんな今日今すぐ食わなきゃ腐るような食材はないから別にいいのだけれども。


「おう、おかえり」

共用スペースのダイニング兼リビングに足を踏み入れると、カレーをかき混ぜているだけだとは信じがたい真面目な顔で、祥平が鍋を凝視していた。

また変な食材混入してないだろうな、と過った疑念に、ほとんど変わらない位置にある肩に肘を置いて、鍋の中身を覗き込んでみる。この間ははんぺんが混入されていた。

「なにカレー? これ」
「……ツナ。っつか近い。うざい」
「何を今更」

特に深い意味はなかったのだが、言い返した瞬間、項が赤く染まった。
「へ?」と間抜けな声を上げるより、祥平の手から滑り落ちたお玉がカウンターに落下する方が早かった。

「な、なにが今更……ッ」
「いや、だって。おまえ、俺と何年付き合ってると思って」
「ねぇよ! っつかないだろ。ない!」
「祥平が何想像してるのか知らないけど、俺、お友達歴的な意味で言っただけなんだけど」

にこ、と微笑みかけてみた後の、祥平の顔色の変化はなかなか見ものだった。
引きつっていた顔が徐々に色だけ赤くなっていくのを、にこにこ観察しながら野々宮は大変ご機嫌だった。

なにこれ、面白い。

全く隠せていない動揺をそれでも押し隠すように、祥平が乱雑に落ちていたお玉を拾い上げて鍋に突っ込んだ。
がりがりかき混ぜているのに「洗わないのかよ」とは最早突っ込まない。この男の顔に合わない雑さを気にし出したら、一緒に生活とかできなくなる。


「っていうか、祥平、なんでカレー作ってんの?」

見た感じ、そこまで信じられない具材は投入されていないらしい大鍋に、若干の安堵を覚えつつ、当初の疑問を投げかけてみると、祥平の眉間に皺が一本増えた。

「別に」
「別にって、どこの女王様だよ。いや、いいんだけどね? 祥平のご飯おもしろいし」

美味いとは言いたくはない微妙なラインではある。
だが十回に一回くらいの割合で、ものすごく美味しいときがあるから、「変なものを混入してくれるな」と頼みにくいラインでもある。

「いや、なんつうか。たまには?」
「へぇ、ふぅん、そうなんだ」
「……なんだよ」

にやにやしやがって感じ悪いくらいのことは思っていそうな胡乱な目つきで睨まれたが、駄目だこれ。

「いや? 可愛いとこあるなぁって思って」

ぴしっと頬筋を引きつらせたまま「ばっ」とか「だっ」とか意味のなさない単語しか発せなくなっている男は一旦放っておいて、鼻歌まで軽く歌いながら冷蔵庫を開ける。

やばい、楽しすぎるだろ、これ。
背後で腹いせのごとく、がしゃがしゃ鍋を引っ掻き回している音が聞こえてくる。
なにが生み出されているのか恐ろしいと言えば恐ろしいが、まぁいいかと思う程度には楽しすぎる。

使用予定だった食材を片付けながら、明日に回そうと決意する。
お互い付き合いもある学生の身であるので、毎日晩御飯を共にしている訳ではないが、祥平の一存で日替わり当番制と相成っている。

それ、最早シェアじゃなくて同居だろ、と正直思ったのだけれども。

ルームシェアを始めるにあたって「食費節約、光熱費節約、あと協調性って大事だろ。コミュニケーション」と真顔で言い切った祥平は、自分の提案に何ら疑問はなさそうだった。
それ寂しいだけじゃねぇの、とも思ったが、まぁいいかで流してしまった辺り、つくづく自分はこの男に甘い気がしてきてしまった。

そして、甘いと言う単語にぞわりとした危機感を感じて失笑する。
なんだそれ気持ち悪い。


「おい、ミヤ。いつまで冷蔵庫眺めてにやにやしてんだ、気持ち悪い」
「人を無機物に萌えれる変態みたいに言わないでくれる?」

自分でもにやけていたかもしれない自覚があるだけに性質が悪い。が、原因をさかのぼればおまえだ。
八つ当たり気味に振り仰いだ先で、元凶は相変わらずのクールな顔のままだったが、残念なことに目は泳ぎまくっていた。

「飯だ。飯。っつか、閉めろ。冷蔵庫。冷気が逃げる」
「普段自分がどれだけ雑なことしてるか思い出してから言ってくれる、それ」

そしてどれだけ俺が付けっ放しやりっ放しのおまえの後始末をしてると思うんだ。お母んな自分に一ヶ月で引いたわ。そんで諦めたわ。

「ところで祥平さんが生み出したのは、不思議な味のカレーですか? 美味しい味のカレーですか?」
「俺が作る飯が不思議な味だったことがあったか、この野郎」

十回に九回は。と思ったが、一応作ってもらった身であるのでそれ以上は突っ込まないことにした。
こいつ、舌も音痴なんだよな、残念なことに。


「あ、十分の一だ、コレ」

口に運んだ瞬間、広がった至って普通の味に心底安堵して漏らした瞬間、祥平がふんと小さく鼻を鳴らした。当然だと言いたいらしい。

「で、なんだった?」
「なにが」
「なにがって俺に話したいこと、あったんじゃないんですか。祥平くんは」

祥平が僅かに怯んだ気配がした。まぁ話したかったら勝手に話すだろうと判じて、意識をカレーに戻しかけた際、ぼそりと低い声が頭上から落ちてきた。

「おまえ金輪際、俺に触れるな」
「なんで? 思い出して照れるから?」

瞬間、祥平の手からスプーンが転がり落ちてカレーに刺さった。
あ、そうだ。なかったことになってるんだったと思い出したが、いやどっちにしても無理のある話だと思い直す。無理だろ。

「照れるようなことは断じてない。断じてないぞ、俺は」
「いや、うんまぁ、そう言うことにしておいても別に良いんだけどね」

俺がヤリ逃げされたわけでもなし。突っ込まれた当人がそうしてくれと言うならば、「ねぇ俺たちやりましたよね」と公言して回るほどのことではない。
反応が面白いから、遊びたくなるだけで。

「とにかく、そういうことだから」
「だから別にいいけど、なんでって」
「なんでって……」

にやにやしたくなるのを堪えて真顔で問いかけてみた先で、長年の悪友は珍しいことに「困惑してます」と言わんばかりの空気を漂わせていた。
……まぁあまり顔つきは変わっていないけれども。

「祥平、」
「虫唾が走る」
「ちょ、もうちょっと他に言いようがないわけ、祥平、おまえそれな!」

人が折角可哀そうかなと譲歩しようとした瞬間にこれである。
もうちょっと、もうちょっとでいいから可愛げのあることが言えないのか、この男は。
いやでもこれが可愛げな気がしてきた。

――駄目だ。
絆されかけた頭を振って、野々宮は大げさに溜息を吐き出した。

「走るもんは走るんだからしょうがねぇだろ。だがそこで俺は、おまえとシェアを続けるにあたってとても良いことを思い付いた」

ドヤ顔だが、碌でもないに違いない。

「一応聞いてやっては良いけど、実行するかどうかは別問題だからな」

念を押したにもかかわらず、祥平はなぜかいそいそとA4サイズの紙を持ち出してきた。
祥平の雑な字ででかでかと四カ条が記されているのを、野々宮はついうっかり無言で眺めてしまった。

「なんだよ?」
「いや、……なんだよって言うか、うん」
「なんだ。文句があるならはっきり言え。調整する」
「調整っていうか、いや、――……」
「なに笑ってんだ、ミヤ、てめぇ」

低いドスの効いた声だったが、駄目だ。笑う。

「あー、だって、なにこれ。なんなのこれ、祥平さん」

その1からして有り得ないから。駄目だこれ。
同居するにあたっての四カ条、その1、友人としての適切な距離感を保つこと。
その2、必要以上の身体的接触を行わないこと。
その3、寝る場所はそれぞれのベッドであり、境界線を守ること。
その4、過去を穿り返さない。

「おまえ、どこのお嬢様なわけ、これ……!」

そしてどんな顔でこの文章を考えて書いたんだ、おまえ。やばい笑える。机に突っ伏す勢いで肩を震わせている野々宮に、祥平が固まりきっている。
いや、だってないでよ、これは。

「おまっ、俺がどんだけ考えたかと、」
「あー、うん。ごめん、ごめんって祥平。おれが悪かった」

笑いが引ききらない声になったが、そこは勘弁していただきたい。


「おまえ、俺のこと、好き過ぎじゃない、これ?」

だってそうだろう。意識してるんです感満載のこれを、それ以外にどう解釈したらいいと言うのだ。
ちらりと流し目を送った先で、みるみる祥平の顔が赤くなっていくのが面白くてたまらない。

「んなわけ、ねぇだろ! ボケ! あほ! 馬鹿!」
「いや? うん、まぁそう言うことにしておいてあげても良いんだけどね、俺は」
「だから違うっつってんだろ、ミヤ! このボケ!」

いやいやいや。
必死で否定されても、野々宮としてはもうそうとしか捉えられなかった。
あ、駄目だ、コレ。
馬鹿な子ほどかわいいじゃないけど、駄目な奴ほど気にかかると言うか放っておけないと言うか、なんともあれな泥沼に片足突っ込みかけている気はするが。

「まぁうん、分かった。分かったから別にいいよ」

慈愛に満ちた瞳でへらりと笑ってみせた野々宮に、祥平は不服そうな顔で「絶対分かってないだろ、おまえ」と零していたけれど、いやいやいや、分かってないの、おまえでしょと思うわけである。


腐れ縁も六年目。
夜をあそぶ界隈も重なっているとなると、おのずと互いの酒量の限界は把握してきてしまう。
そしてお互い、あの日の酒量が記憶を飛ばすほどではなかったと知っている。

だとすればこれは、終焉を知っている舞台回しそのものだ。


「なに、ニヤニヤ笑ってんだよ、気持ち悪い」
「いやー? 手間のかかる子は放っておけないなって話」
「喧嘩売ってんのか、おいこら」

どちらかと言えば、恋を売られてる気がするとはさすがに口にはしなかったが。不遜な顔をしているくせに、どこか泳ぎ続けている祥平の瞳が、いろんな意味でのカウントダウンを奏でている気がしなくもない。



【馬鹿な子ほどかわいい―END―】

お付き合いくださりありがとうございました!