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http://yzkak.namidaame.com/ [Honey**]


花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《1》


【1】


冬の暗い夜のことだった。

霧雨の降る中、人目を避けるように路地裏に足を向けた滝川行平の視界に、不意に白が飛び込んできた。

「ん……?」

闇色に染まったアスファルトに視線を落とす。瞬間、行平が視認したのは、乱れた法衣の裾から飛び出した人間の臑だった。

「おい……っ」

濡れるのも構わず行平は膝を突いて、男の肩を揺さぶった。
男の口から微かな声が漏れて、行平はほっと息を吐いた。死体ではなかったらしい。
顔を覆い隠すように張り付いている黒髪をかき分けてやると、法衣姿から行平が想像していたよりもずっと年若い顔が露わになった。

行平の腕の中で、男がゆっくり目を開ける。光の加減の所為なのか、黒いはずの瞳は金色がかって見えた。

「っ、おまえ……」

男の白い顔はひどく作り物めいた整い方をしていて、行平は魅入られたように言葉を止めた。
感覚でしか表現できないようなぞわりとしたものが、背筋を這い上がっていく。

そんな行平の困惑に気が付いていたのかは知らない。男が小さく唇を吊り上げた。そして意識を失って倒れていたばかりだとは思えない瞳で、男は嘲笑った。
なにかを発そうとしていたのか、血の気の失せた唇が微かに戦慄く。けれど音になりきるまえに、男の身体から力が抜け落ちていった。

「おいっ、ちょっと……、しっかりしろ!」

いつから雨に打たれていたのだろう、水を含んだ重い法衣を身に纏った男を、行平は捨てておくこともできず抱き上げてしまっていた。足下にはひしゃげた錫杖が打ち捨てられている。

「なんだって言うんだ……」

行平の口から漏れた疑問は、誰に解き明かされるでもなく霧雨の中に消えていった。


***


区内随一の繁華街の大通りから一本それた通りに、行平が居住しているビルはあった。
桜ビルディングと古めかしい名称が掲げられているそこは、エレベーターとは無縁の四階建ての貸しビルだ。そこの三階を事務所兼住居として借り出してから、そろそろ二年近くが経とうとしている。

行平はいつもと同じように階段を上って硬質なドアノブに使い込んだキーを差し込んだ。
手ごたえの違和感に、行平は微かに眉を上げる。開くはずだったドアは、ガチャンと耳障りな音を立てただけだった。

先日ここを出た時に鍵を掛け忘れた記憶はない。と言うことは、だ。

「また来たのか」

もう一度鍵を捻ると、今度はすんなりとドアノブが回った。がらんどうとした事務所に、行平はもう一度声をかける。
数日の間、主が不在だった事務所は、冷え切っていてしかるべきだったが、暖房の稼働によって適温に調整されていた。無論、それも行平が消し忘れていたわけではない。

行平が使っているデスクワーク用の机と棚。そして二人掛けのソファが二脚、テーブルを挟む形で設置されている。依頼人との面談スペースを兼ねた八畳間ほどの狭い事務所だ。
見当たらない人影に、もしかしたら自室の方に入り込まれたか、と自室の方に繋がっているドアに気配を向けたが、物音は聞こえてこなかった。

「おい」

それでも間違いなくいるだろう相手に呼びかけながら、行平は乱暴に持っていたカバンを投げるようにして机に置く。

「おい、呪殺屋」

低い行平の二度目の呼びかけに、ソファから押し殺した笑い声が響いてきた。
行平が声の主の方に足を向けると、ソファから起き上ってきた男が視界に飛び込んできた。男の漆黒の瞳がチェシャ猫のように細められる。

「呪殺屋って、ひどいなぁ。俺、ただの何でも屋さんなのに」

男にしてはやや襟足の長い黒髪が、はらりと揺れる。整った顔に乗った蠱惑的な笑みに、行平は大仰に首を振った。

この男は自分の顔の威力を知って利用しているのだから性質が悪い。この男の裏の顔を知らなければ、一発で騙されてしまいそうなそれだ。

「呪殺を専門に取り扱ってる何でも屋だ、似たようなもんじゃねぇか」
「違うって。俺は、みんなのお願いを叶えてあげるために存在してるの。
だから例えばさ、可愛い女の子が『私の恋を応援してください』って言ってやってきたら、その子の為に恋愛成就のお呪いでも、恋占いでも、なんでもやってあげるよ。なのにそれを『呪殺』呼ばわりとか、ひどいなぁ」
「そんなおまえの話、俺は聞いたことねぇぞ」

呆れたと肩をすくめた行平に、愉しそうに男は笑った。

「だから俺はお願い叶えてあげてるだけなんだってば。難儀な世の中だよねぇ。誰かを幸せにしたいって人間なんていなくて、みんな誰かを不幸にしたいって望みに来るんだから」

分かったら呪殺屋なんて不吉な名前で呼ばないでよね、と続けた男に、行平はどうにもならない溜息を漏らしてしまった。
なぜこんな得体のしれない男に懐かれてしまったのか。三カ月前の自分の選択を、行平は後悔し始めていた。

「神野(かんの)」

本名が偽名か、はたまた通り名か。行平には判断つかないが、拾ったあの日、本人がそう名乗ったのだから、「呪殺屋」と呼ぶなと言われれば、そう呼びかけるほか無い。
我が物顔で神野が座り込んでいるソファの向かい側に回って、行平もどかりと腰を下ろす。

瞬間、壁際に立てかけられていた錫杖の存在に気が付いてしまって、行平は苦い視線を神野に向けた。

「おまえ、また、そんなもん持ち歩いてんのか」
「そんなもんって、俺の商売道具だっつうの」

少しサイズが大きいらしい黒のカットソーから白い鎖骨がのぞいている。最初に出逢ったときも黒い法衣を身に纏っていたが、この男は常になにかしらの黒を身に着けているイメージが強い。

「これね、便利なんだよ。暴漢も撃退できるし、疲れた時は杖代わりだし。武器にもなりかねない獲物持ってても、お坊さんの格好してたら免除されるってのが、なんて言うかやばいよね」
「普通の坊さんは、獲物代わりになんて使わねぇんだよ」

苦虫を噛んだような行平の台詞を、神野は「そうかもね」と平然と受け流す。だがふと脳内に沸いた疑問に行平は、まじまじと神野を見た。

「おまえ、今日その格好で錫杖持ち歩いてきたのか」

法衣とまではいかなくとも、神野は和装をよく身に纏っている。今日みたいなカジュアルな格好は珍しい。

「あぁ」と神野は行平を惑わすように首を傾げた。
特別華奢なわけでも、女顔なわけでもない。それなのに、神野からは男を惑わす独特のフェロモンが滲み出ているように思えてならないときがある。
それとも、これも、この男の「魔法」なのだろうか。

「なに、滝川サン。あんた、着物の方が好みだった?」
「誰がそんなこと言った……」
「ざーんねん。昨日まで着てたは着てたんだけど、汚れちゃってさ。あ、服、借りたよ?」
「って、おまえ、それ俺の服か! なに勝手に漁ってんだ!」
「だって、滝川サン、気付くの遅いんだもん。でもこれ、ひでぇよ。伸びきってんじゃん。金無いわけじゃないんだから、もうちょっといいの買いなよ」

「俺ほどまでとは言わなくても、一応見れる顔してんのに」と笑いながら、神野の長い指が襟首を引っ張っている。伸びてると思うなら、それ以上駄目にするような真似をしないでくれ。

つまるところこいつは、昨夜も法衣が汚れるような良からぬ仕事をして、ここに不法侵入をかまして夜を明かしてくれたわけだ。
今の格好と錫杖の謎が解けたところで、「ん?」と行平は眉根を寄せた。

「おまえ、まさかとは思うけど、その汚れた法衣、どうしてくれたわけ?」

神野が小さく喉を鳴らして、自室へと続くドアを指さした。

「洗濯機に突っ込ましてもらったけど。そろそろ終わってんじゃないかな。滝川サン、引っ張り上げといてよ」
「おまえなぁ……」

返答に行平は頭を抱えた。血みどろの服をそのまんま突っ込まれたのかと思うとたまらない。
おまけに、帰ってから回せばいいかと、ここ三日分の洗濯物を漕の中に溜め込んでいたのだ。

恨みがましい行平の視線など意にも介さず飄々と神野が立ち上がる。

「じゃ、ね。あとはよろしく」
「おい、呪殺屋!」
「だからぁ、その呼び方すんなって。頭悪ぃなぁ。あ、錫杖も置いといてよ。また今度、取りに来るからさ」

ぴらりと手を振ってドアノブに手をかけた神野を、行平は再度「おい」と呼び止めた。
素直に立ち止まった神野の頭の上から、戻って来てから着こんだままだったダウンジャケットを振りかけてやる。

「……なに?」

大して身長差もないはずなのに、きょとんとした表情で見上げられてしまって、行平は漏れそうになった笑みを噛み殺した。

たまに年相応な表情を垣間見せられると、こいつの不遜な態度も許してやろうかと言う気がしてしまう。
とは言え、勝手に行平が二十歳前後だろうと推察しているだけで、本名同様、神野の年齢も、本当のものを知っているわけではない。

「そんな恰好で外ふらふらしてたら、それこそクスリきめてると思われてもしょうがねぇぞ。何月だと思ってんだ」
「2月20日の夕方6時。どうだろ、今だったら外気温、3度くらいかな?」
「分かってんだったら、黙って借りてろ。ただし汚すなよ」

置き去りにされた錫杖が、視界の端で嫌な存在感を放っている。言い切った行平に、神野は「ふぅん」と似非臭い流し目を寄越してきた。

「あいっかわらず優しいね、滝川サンは」
「おう、そう思うなら感謝しろ」
「してもいいけど。命取りになっても知らないよ、じゃあねぇ、超常現象マニアの滝川サン」

ダウンジャケットを肩にひっかけて、出て行こうとした神野に、「探偵だ」と行平は訂正を試みた。

「浮気調査よりよっぽどたくさん、神様だ天狗だUFOだって、変な現象追いかけて、あっちこっち飛び回ってるくせに」

だが、それを言われると、ぐうの音も出ない。黙り込んだ行平を満足そうに見返して、もう一度神野が「じゃあね」と手を振って外に出た。

「っつうか、こら。おまえ、何しに来たんだ、わざわざ」

俺に用事があったんじゃないか、と。閉まりかけたドアに手をかけて、事務所を出て階段を下りかけていた細い背中に声をかける。

「べつに? ちょっとしくっちゃってさぁ、遅くなっちゃったから。さすがに明け方にあの恰好で俺の家まで戻れないでしょってことで、お邪魔させてもらっただけ」

助かったよ、と、感情の乗らない声を最後に、カンカンと軽やかに階段を下りていく音が響く。
それ以上追いかけようとまでの気は起らず、溜息ひとつで行平は事務所のドアを閉めた。


ふいっと現れて、ふいっと消えていく。
黒いシルエットに、飄々とした身のこなし。神野を見ていると、どうやったって黒猫が脳裏に浮かぶ。

「ま、でも、そんな可愛いもんじゃねぇよな……」

どちらかと言わなくとも、もっと狡猾な存在だ。
全く厄介なものに懐かれたものだと、行平はひっそりとした笑みを漏らして、鞄から事務所宛に届いていた郵便物を取り出した。

ダイレクトメールに紛れて、一通、丁寧な字で『滝川万探偵事務所 滝川さま』と記されている茶封筒が姿を現す。
一瞥して行平は封を切った。書面にさっと目を通すと、一度、行平は祈る様に目を閉じた。

そしてゆっくり、電話へと手を伸ばしたのだった。

お付き合いくださりありがとうございました!