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隣のチャラ男くん

眠れない。
どうにもこうにも眠れない。
夢見荘の薄い壁の向こうから聞こえてくるあられもない声を頭から追い出すべく、念仏のように数えだした羊が8匹目で爆破した。

「あっ、やっ……慎悟、もうダメッ……!」

……あのあほ慎吾。

隣室のあほのにやけた顔が反射のように脳裏に浮かんで、真白は頭を抱えて布団をひっかぶった。
なんで俺がこんな目にあってるんだ。
夢見荘の心優しいオーナーは、こんな事態を危惧して、男子学生専用アパートとして女人禁制にしてくれていたのではなかったか。いや、ある意味、女人が立ち入っているわけではないけども、だ。
次いで、以前指摘した際、へらへら笑いながら「えー、だって、俺、規約守ってるよ?」と受け流しやがった隣人の顔を再び思い出してしまって、真白は悶えた。

「もうっ……無理、死んじゃうっ」

いっそ死ね。内心そう毒を吐きながら、真白はすべての元凶のような気さえしてくる薄い壁を後ろ足で蹴りつけた。いや、元凶は、隣の家のチャラ男だが。

「それくらいで死ぬか、ぼけ」

いや、俺は男とセックスなんてしたことないから知らないけども。
一応の静けさを取り戻した暗闇の中で、真白は枕元に置いていた携帯電話を手に取った。
午前3時。
有り得ない。俺は毎日日付が変わる前に寝たい派だ。
げんなり項垂れて、真白はそのまま枕に顔を擦り付けた。


そんなわけで、城崎真白は、今日も今日とて眠れぬ夜を過ごしてしまったのだった。


【隣のチャラ男くん】


「しろー、おはよう。ご飯できたよー」

朝から無駄に機嫌の良い声と、味噌汁のにおい。カーテンまでご機嫌に開けられて、渋々真白は起きあがった。
暖房が既に稼働しているらしく、布団から抜け出しても寒くない。至れり尽くせりだ。大変、至れり尽くせりではある。
が、真白は不機嫌な顔を崩さなかった。

「なに、眠そうだね、しろ。昨日何時に寝たのー? 駄目だよ、夜更かしは」

伸びるもんも伸びなくなるよー、170まであと1センチなんでしょー? あ、違った。ごめん、165まであと1センチだったっけー? とへらへら笑っている男に、思わず真白はがなった。
誰のせいだ。
心の底から罵りたい。誰のせいだ。
だと言うに当の本人は、変わらずへら〜っと笑っているだけだった。


あげく、
「今日のおめざはジャガイモのお味噌汁と、出汁巻き卵とぶり大根だけど」
「……」
「食べないのかー、そっかー残念。きっと加代子さんもしょんぼりするだろうなぁ、そんな選り好みばっかしてるから、うちの子はおっきくなれなかったんだって」

あぁ残念、よく味染みてると思うんだけどなぁと、鍋を揺らす確信犯に勝てた試しが、残念なことに真白はなかった。
ぼそりと「寄越せ」と強請ると、じゃあその汚い机の上を片づけてください、とまるで母親のような指示が飛んできた。

習慣って恐ろしい。

手際よく朝食を並べている隣家のチャラ男の手つきを眺めながら、真白は大学に入学してからの自分の身体の変化を考えていた。
もともと真白には朝食をしっかり取る習慣はなかったのに、一人暮らしを始めてからこっち、おせっかいな隣人のせいで、規則正しく起き抜けに純和食な朝食をしっかり食べれるようになってしまったのだった。
良いか悪いかで言われれば、良いことなのかもしれないが。不本意だ。甚だ不本意だ。
ここまで習慣付いて今更、勝手に俺の家に侵入してきてんじゃねぇよこいつとは思わないが、自分の置かれた状況になんだかなぁと思わなくもない。

そもそもが、真白とチャラ男、もとい慎吾は、20年近くのお隣さんだ。
そう言うと、大学からの知り合いには首を傾げられる。あれ、おまえ、一人暮らしじゃなかったっけ、と。
そのたびに真白は、「俺だって、そんなつもりじゃなかったんだ」と何の答えにもなっていない返事をしていたのだが、つまりはこういうわけだった。

とある地方都市の公団の一室に真白が誕生した時、隣の家に慎吾はすでに息づいていた。
遅生まれ早生まれの差こそ小さい頃はあったものの、学年も同じクラスもほぼ同じのなんでも一緒の幼なじみとして成長した2人が、今年の春合格したのも何の因果か同じ大学だったのだ。
地元から通学することが不可能なそこで、真白は念願の一人暮らしを満喫する予定だったのだが。
事態は、いつまでも真白のことを駄目な末っ子(長男だが)だと思っている母親が、慎吾の家で「うちの子一人で大丈夫かしらねぇ」と漏らしたことで急転する。
「そうねぇ、確かに心配ねぇ」と相槌を打った慎吾の母親の台詞に追従するように、昔から要領良く人当たりの良かった慎吾が、「なんなら俺、一緒に住もうか? それか隣同士の部屋でも借りる? 面倒みたげるよ、俺」とぬかしやがったのだ。
冗談じゃない、俺は一人で大丈夫だ。
との真白の叫びは、母親の溜息と慎吾の母親の愛想笑い、さらには小ばかにした慎吾の笑顔で一蹴された。
そして真白自身が全くに納得しないまま、3対1と言う多数決を押し切られ、あれよあれよと夢見荘での生活が始まったのだった。

そして毎朝一緒にご飯を食べる関係が、だらだらとすでにして半年近く続いているのだが。
真白の部屋の台所は、真白自身が一切使用しないにも関わらず、やたらと調味料含め道具が揃っている。
なんとなく部屋の一角を慎吾に占領されている気がしないでもないが、強く文句を言えないのは、さすがになんか悪いなと思ってるのが半分。あと半分は、なんだかんだ言ってしまっても結局、慎吾の作る料理に絆されきってしまっているからだった。

「……いただきます」
「はい、いただきます」

一人暮らしの男子大学生が食べるには豪華すぎるきらいのある朝食を前に、真白は、またしても自分が昨夜の情事の抗議をするタイミングを逃してしまったことに気がついた。
やってられない。だが美味い。
完璧自分好みの味付けなのが、またなんともだ。

「しろ、おいしいー?」

にこにこ尋ねられて、瞬時悩んだものの、素直に首を縦に振った。美味い。遺憾ではあるが。

「というか、おまえな」
「ん、なにー? なんかリクエストあったら聞くけど?」
「いやちがう、そうじゃねぇよ。何度も言ってると思うんだけどな、うるさい」
「なにが?」
「なにがって分かってんだろ、夜だよ、夜! おまえのせいで俺は寝不足なんだっつうに!」

分かっているくせに白々しくすっとぼけてくる慎吾に、箸を置いて盛大な溜息をもらす。
だがしかし、相手は相変わらずのへらっとした表情のまま、そうかなぁとふざけたことを口にしただけだった。

……慎吾と言う男は、昔からいつもいつも、適当にへらへら笑って大抵のことは受け流して終わらせる。
そしてそれが何の解決にも至らせていないにもかかわらず、この男の外面の良さに何故かみんな騙されるのだ。
慎吾くんがそう言うんなら、まぁいっかぁ。
と言う腹立たしい戯言を、何回歯噛みしたい思いで聞いたことか。

「死ぬ死ぬいくいくうるせぇんだっつの、なんなんだあいつは。AVデビューでも狙ってんのか」
「いやー? そんなことないと思うけど。ああ言う声出した方が盛り上がるって思いこんでるんじゃない? かわいいじゃん」
「どこが」

まぁ俺のテクによるところも多いのかもしれないけどねぇ、と笑う、ここ最近の睡眠不足の元凶を、真白は苦々しく睨みつけた。
が、相手はどこ吹く風だ。
死ねばいいのに。一瞬思って、いやそれはさすがにまずいかと真白は考え直す。
心底俺はどうでもいいが、こいつの死因が腹上死とかになったら、おばちゃんに合わす顔がない。

「眠そうだね、しろ」
「人の名前を犬猫みたいな略し方すんな」
「えーそう? 犬みたいでかわいいのに」
「それが嫌だっつってんだろ。日本語通じねぇのかおまえは!」

叫んでこめかみを押さえた真白の姿をしみじみと見つめながら、慎吾は「苛々してるねぇ、睡眠不足なんじゃないの」と呟いた。
だから誰のせいだ、誰の。
そもそも、あんな時間帯までセックスを散々しておいて、朝にはもう帰らせてるってどうなんだ。

ピンクがかった茶髪が揺れる。
昔みたいな黒髪の方がいいのになぁと真白は思った。だって、なんかものすごい軽く見えるぞ、さらに。
街角で声をかけられて以来、カットモデルという題目でただで髪の毛をいじってもらっているらしいのだが。分かってないよな、こいつ元は良いんだから、そんな変に派手にしなくてもいいのに。
そんなことを考えていたら、手が勝手に慎吾の髪に伸びていた。
珍しく本気で驚いたらしい慎吾が、真顔でこちらを凝視した後、取り繕ったように「なに?」と頬を緩めた。

「チャラい髪って、思っただけ」
「あーもう、すぐ、しろは俺のことチャラいチャラいって言うけどね、俺、健気で一途だって評判なんだよ、一部から!」
「どこの節穴だ、それを言ったのは」

有り得ねぇと言い返しながら、長ったらしい前髪を指先で梳く。あぁ絶対何もする前の方が、手触り良かったのに。

「あの、しろさん?」
「んー? なんだよ、おまえの髪、傷んでんな」
「……傷んでねぇよ」

げんなり呟いて、けれど後はもう真白の好きに任せることにしたらしい。少しだけ頭が近づいてきた。
早生まれの宿命なのか、慎吾が昔から無駄にでかいのか、真白は一度も慎吾の身長を抜かしたことがない。だからこんな状態でもない限り、こいつの頭頂部を見ることもない。

「ムカつく」
「なんかそれって、すげぇ理不尽」

返ってきたそれは、なんとなくひどく甘い空気をもっていた。

おまけ

「おまえ、ホント無駄にレパートリー持ってんな」

目の前に出てきた物体を前に、真白は思わず呟いた。
ほうじ茶ラテとか。俺、カフェでも頼んだことねぇんだけど。いや、そもそもカフェとか行かねぇけど。

「おまえ、俺がなんで料理上手くなったと思ってんの?」
「……好きだからじゃねぇの?」
「ちっちゃいおまえとかなちゃんが、お腹すいたお腹すいたって俺に駄々こねてたからじゃん」

さも呆れたという顔で言われて、真白は口に含んだばかりだった未知の飲料を吹いた。
あぁもうやってらんないとぶちぶちこぼし続けている慎吾を後目に、そういえばと真白は思い返してみた。

真白の家も慎吾の家も共働きだったこともあり、物心ついたときには真白は慎吾と児童館で遊んだり、慎吾の家に入り浸ったりして過ごしていた。
そんな懐かしい光景とともに、自分と自分たちより2つ下の妹が、我儘放題だった記憶も微かに蘇ってきた。
焦げたホットケーキに始まり、そう言えばいろいろあのころから作ってくれていたような。

だが果してそれは、そんな自分の我儘だけでやってくれるものなのか。

「慎吾」

ぼそりと呟くように呼んだ名前に、慎吾が顔を上げた。

「なに、しろ」
「おまえ、かなみに手ぇ出してみろ。おばさんに男と乱交しまくってるってチクるからな」

瞬間、かろうじて美形に範疇されるだろう顔を、慎吾が盛大にゆがめた。

「なっ……、もう、……やだおまえ」

有り得ない、信じらんないと今度はへにょんと机に突っ伏した幼馴染に、真白は鼻を鳴らした。
「真白と同じDNAだとは思えない」と周囲から言わしめるかなみは、かわいいかわいい自慢の妹だ。こんな男相手に盛りまくってる変態にやる謂れはない。一切ない。

「……俺の愛が通じてない」
「はぁ? そりゃおまえがかなみに惚れんのも分かんなくはねぇけども」
「いやそこじゃないから」
げんなりチャラついた前髪をかきあげて、何故か「しょうがない」とでも言いたげに慎吾が苦笑した。

「しろー?」
「なんだよ」
「美味しい、それ?」

これで俺を買収する気じゃねぇだろうなと若干疑いつつも、「うん」と真白は首肯した。
あんまり甘くないミルクティーみたいだ。

「じゃ、ま、それでいっか」
「……なにがだよ」
「いや、もういいや。うん、今日はいい加減学校行けよ、おまえ。留年とか洒落になんねぇからね」

言われなくても分かってるっつうの、と子どもじみた文句を飲み込んで、真白は手元のマグに視線を落とした。
俺の為にこんなもんまで作るとは、こいつは相当暇人だ。
それともかなみへの布石かなんかか。

暖房からは暖かい空気が室内に送られ続けている。暖かい飲み物。美味しいごはんについでに慎吾。
この家から出たくなる要素は、おまえが作り出してんじゃねぇかよと、こっそり駄目人間は本日も家から出ないだろう言い訳を作り上げていた。

【END】

お付き合いくださりありがとうございました!