http://yzkak.namidaame.com/ [Honey**]


隣の駄目人間。

城崎真白は結構な駄目人間だ。

そう言い切ったところで、あいつの生体を知っている人間なら、いまひとつ否定できないだろうと慎吾は踏んでいる。
放っといたら面倒くさがって飯も食わない。外にも出ない。
誰も面倒看なかったら死ぬんじゃねぇのと思うときが実際あるが、結局なんやかんやで俺が看るから死なないだろう。
いや、こうやって俺が看ているから、あいつはいつまで経ってもなにもしないのか。

買い物袋をがざがさ言わせながら、今日も今日とて、慎吾は自宅を素通りして、隣家の鍵を開けた。合い鍵は当たり前のように所持している。
真白の家の台所を共同調理場として占領したのは、なにも自分の家のそれをきれいなまま確保したかったからだとか、そんなあれじゃない。
単に無精が過ぎる真白が、面倒くさがって家から動きたがらないからそうなったのだ。

そもそも朝は一緒でもいいけど、夜も毎日だったらおまえも大変だろ、月・水・金でいいよ。それ以外は自由にしろよ、と。さも慎吾を気遣うかのごとく提案したのは真白だが、それにしたって「自堕落にたまには過ごしたい」とか、「カップ麺とか好きなもん食いたい」とか思っているからに決まっている。


【隣の駄目人間。】


「ただいま」

ドアを開けると、部屋の中は案の定薄暗かった。電気くらい点けろよと思うものの、これもまた今更だ。
ベッドの上の毛布の固まりがもぞもぞ動いて、こもった声が聞こえてきた。なんと言っているのかは謎だが、おそらく「お帰り」あたりだろう。それか「腹減った」だ。

台所でがちゃがちゃやっていると、ようやく起き出したらしい真白がぽやぽやした顔で後ろに立っていた。

「ごはん、なに?」

どこの小学生だと思いつつ、今日は鍋だよーと返事をしてみる。
と、真白がほにゃんと嬉しそうに笑った。普段もこれくらいぽやぽやしてたらかわいいのにと一瞬思ったが、いやなにそれ気持ち悪いと自分の思考を却下する。

傍若無人じゃない真白とか、無理。気持ち悪い。いやべつに俺、エムでもなんでもないけど。

「というわけで、カセットコンロとってきて」

白菜をザク切りにしながら言いつけると、目が覚めてきたらしい真白が、面倒くせぇと言いながら、押入をごそごそやりだした。

「慎吾ー、ない」
「ないわけないでしょ、ないわけ。この間、おまえが仕舞ったじゃん」
「でもねぇもん。ないもんはない」

小学生でもできそうなお手伝いを、小学生以下の台詞で諦めた幼馴染が、再びベッドに埋没したのが気配で分かって、慎吾はさすがにイラッと包丁で白滝をぶった切った。

この駄目人間! だから加代子さんがおまえには一人暮らしは無理だって断言したんじゃねぇか、と。
そうかと言って、だからその面倒を義務的に見ているのかと言われれば、少し違うわけだけども。

でも結局、俺が甘やかすから駄目なのかなと地味に反省しつつ、慎吾は包丁を置いて、押入に向かう。
ついでにベッドの上の布団の塊を軽く踏みつけた。

「……あるじゃねぇか」

どんより呟けば、「えーどこに?」と暢気な声が飛んできた。

「おまえ、どうせ右側しか開けてないんでしょ。ちょっと左も開けたらあったよ、目の前に」
「えーマジで。ごめん。悪い」
「まったく謝ってるように聞こえないんだけど。……と、ごめん。電話だ。しろ、コンロ準備しといて」

これでしてなかったら、ちょっと怒る。
それが分かったのかどうかは謎だが、毛布の魔窟から抜け出ようとしているらしい空気は伝わってきた。

スマホの着信画面に表示された名前に、慎吾はわざわざ真白の家から、夢見荘の大概ガタのきている廊下に出る。


「慎吾くん? もしもーし、今大丈夫ー?」

通話先から届く華やかな声に、慎吾はゆるく苦笑した。同じ兄妹で、こうも声の張り方が違うもんかな。
覇気の有る無しと言うか。

「うん、大丈夫だよ。珍しいね、かなちゃんが俺に直接電話してくんの」

兄妹のように育った幼馴染みとは言え、城崎兄妹は、基本がブラコンにシスコンだ。敢えて間に自分を挟んできたりはしない。

「この間さぁ、お兄ちゃんから変なメール来てー。まぁお兄ちゃんが変なのはいつもったらいつもだけどね」
「まぁそうだねぇ」
「だよねぇ。で、慎吾くん。とうとうお兄ちゃんに手ぇ出したの?」

けろっと聞かれたそれに、不覚にも慎吾は動揺した。結果、「……なんで?」と恐る恐る問いかけると言う、間抜けな事態に陥ってしまったのだけども。

「だってぇ、お兄ちゃんが、あいつは見境なく手を出してくるホモの変態だから気を付けろって。勢い余ってヤッちゃったのかと思ったよぉ」
「……かなちゃん」

けらけら笑っているかなみの声に、慎吾はこめかみを思わず抑えた。勢い余ってってなんだ、勢いって。

「してないから。ほんとなんもしてないから」
「うん。だとは思ってたんだけどー。慎吾くん、実はへたれだもんねー、でも万が一ってのもあるかと思ってちょっと心配しちゃったぁ」

それが散々男関係の面倒を看てやってきた俺に対するあれなのか、と思わないでもなかったが、慎吾は力なく、そうだねぇと笑って流した。
なにが「そうだねぇ」なのかはもはや自分でも不明だ。

「まーとにかく、変わりないなら別にいいや。じゃ、慎吾くんお兄ちゃんよろしくねー」

言いたいことを言いきって満足したのか、「ほんと慎吾くん健気だよねぇ」との笑い声とともに通話が切れた。

このマイペースさ加減は、さすが兄妹と思わなくもない。

どうせ俺がへたれだよ。何年も何年もあほみたいなおままごとやってるよ。
挙句の果てに、かなちゃんのこと好きなんじゃないのかって疑われてるよ。

上着も着ずに外に出たせいで冷えた身体をあっためるべく、慎吾は溜息ひとつでノブを回す。
室内では一応カセットコンロを準備し終えたらしい真白が、どうだと言わんばかりの顔で出迎えてくれた。

……なんでこんなあほな小学生みたいなのじゃないと駄目なんだ、俺。

「わー、すごいね。しろ。ちゃんとできたねー」

我ながらとんだ棒読みだったが、言われた本人はといえば、「当たり前だ」とドヤ顔のままだった。
童顔も相まって本気で子どもみたいに見える。どこの一人でできるもんだよ、と思わないでもなかったが、これもまた今更だ。

ある程度調理済みの土鍋をテーブルに設置されたコンロの上に置いて、再度蓋をする。
この間トマト鍋をしてみたところ、水炊きが食いたいとごねられた結果の鍋リベンジだ。

真白の親からも「うちのあほ息子がすいません」と食費を自分宛に上納して貰っている以上、ある程度リクエストを聞く義務はあるはずだ。
慎吾は決して自分が甘やかしているわけじゃないと言い聞かせた。言い聞かせている時点でどうなんだ、と、ふと湧き起こった疑問は黙殺する。


「さっきの電話、誰からだったんだ?」

はふはふ鶏肉をかじりながら訊かれたそれに、慎吾はへらっと笑った。

「誰か気になんの?」
「いや、別に」

本当に微塵も興味なさそうに切り捨てられて、なら訊くなよと内心ふてくされながらも、慎吾はかいがいしく真白の椀に白菜を放り込んだ。野菜も食え。

「どうせおまえの男だろ。疚しいから俺の前で電話でねぇんだ」
「いや別に」

そう言うわけでもないんだけども。
嫌そうに白菜を咀嚼している幼馴染みの椀にこれも食えと人参を突っ込んでみたところ、無言で鍋の中に返却された。
だからどこの子どもだ、おまえは。

「ねぇ、しろー」
「なんだよ、人参はいらねぇ。おまえ食っていいよ」
「いや、おまえが食えよそこは。ってそうじゃないから。そうじゃなくてさぁ、それってさぁ、嫉妬?」

一抹の期待を持って問いかけてみたそれは、「はぁ?」という不機嫌な声と、心底不本意な顔で一蹴された。「意味が分からない」

俺は応答に全く愛を感じない。

「まぁ、別にそれは本当心底マジでどうでもいいんだけど」
「……なにその前置き」
「おまえ、同じ大学の奴にほいほい手ぇ出すのやめろよな。マジ迷惑」
「へ? なんで?」

真白の顔をまじまじと見つめた慎吾に、真白が眉間の皺を増やした。

「なんで、じゃねぇよ。なんかこの間、全然しらねぇ奴に、ものすげぇ睨まれたんだけど」

「あー……」と唸って、慎吾は頭を抱えた。「ごめん」
真白に申し訳ないというよりかは、自己嫌悪だ。
後腐れない相手を選んでいたつもりだったのだけども。いつのまにか情でも湧かれたか。
たぶん、真白いわくの「AV並の声を出していた」あれだと見当がつく。

わりとかわいい顔をしていて、ちょっと気の強そうな目が真白に似ていた。

切り時かなぁ、でも、上手く切らないと面倒くさいことになりそうだなぁと、全く自分のことしか考えていないことを思索しながら、取り繕った笑みを張り付ける。


笑っていれば何とかなる。

生まれてこの方20年。平均より高い顔面偏差値と人並み以上の愛想を備え持ったチャラ男は、基本的に人生をなめ腐っていた。

それを見破っている幼馴染みは、へらへらしてんじゃねぇよと機嫌をさらに悪化させるのが常のだけれど。食べ物を与えれば、それが簡単に解除されることもまた道理なのだった。

これを人は餌付けと呼ぶのかもしれないと思いながら、そろそろおじやに移りますかと慎吾は笑った。
単純な思い人の不機嫌きわまりなかった表情が、ちょっとゆるんだ。


【END】

お付き合いくださりありがとうございました!