http://yzkak.namidaame.com/ [Honey**]


隣にいる人

現状を変えるのには、パワーがいる。
そう思うのは、自分にとって「現状」がこの上なく心地いいものだからだと真白は分かっている。
そしてそれは、自分一人で作り上げたものなんかじゃ、決してない。
慎吾が隣にいたからだと、知っている。


「あのさ」

と、どうしようかなと迷ったのが分かる声音で慎吾が口を開いた。

「しつこいってしろは怒るかもしれないけど。やっぱりやめる、とか。次にする、とか言ってもいいからね?」

さっきと言ってること違うんじゃねぇのとは言わない。
慎吾は、結局いつも最優先するのは真白の意思なのだ。それを優しいと取るか、厳しいと取るかはそれぞれなのだろうけれど、少なくとも真白にとって、それは正しい。

「大丈夫」

だから応じる言葉は決まっている、のだと思う。全くもって不安がないとは口が裂けても言わないし、絶対にしないといけないものなかと言われるとそれはやはり分からない。
でも、必要だと思う。それは自分だけじゃなく、慎吾にとっても。
積み重ねて積み重ねて、それでも降着していた一点を突き崩したのが、ある種の勢いなのだろ分かっていても。

「大丈夫だろ、俺もおまえも」

あっけらかんと口にしてみたそれに、自分とは比べ物にならないレベルで気遣いが出来る恋人が眼を瞬かせる。
逸らすことなく見つめ返した先で、噴き出すように慎吾が微笑った。

「俺、しろのそういうところ、好きだなぁ」
「俺、おまえに嫌いだって言われた記憶がない」

隣にずっといて、楽しいばかりの相手じゃないだろうに。気に障ることもあるだろうと思うのに。

「そりゃ、そうだって」

慎吾の手が頬に触れた、いつだって慎吾は、柔らかいものに手を出すように、優しく触れる。
大事だと、指先が伝えてくるような、そんな温度。

「俺、どんな真白でも、真白がいてくれたらそれで十分だもん」

――それは俺の方だと思った。
慎吾がいてくれたから、今、こうして自分はここにいれるのだと、城崎真白は確信している。


【隣にいるひと】


カーテンを閉めて、電気を落とす。シャワーは別々にさっと済ませた。
どことなく落ち着かない心境を宥めるような軽口を布団に潜り込んで交わす。たぶん、これはひどく真っ当な行為手順なのだろうなと思った。

真白は経験したことはないけれど。でも、そうなんだろう。男同士で真っ当だと言う言葉を使うのはおかしいのかもしれないと疑念が湧いたが、別にいいかと思うことにした。
慎吾と自分と。二人の間の出来事に、世間一般のものさしを当て嵌めたくなかった。

「俺ね」

と、キスの合間に慎吾が囁く。
優しい、耳に心地のいい馴染みきった声。

「真白に触るの、すごい好き」

そういやこいつ、前、酔っぱらって帰ってきた夜も、やたら触りたがってたなぁ。
そんなことを思い返しながら、間近で笑む瞳を見返した。

「なんて言うか、あぁちゃんと俺の隣にいてくれるんだなって気持ちになる」

キスが降ってくる。唇に。頬に。瞼に。そのすべてを甘受ながら、そっと手を伸ばして掻き抱くようにして頭に触れた。

「……しろ?」

窺うようなからかうような声に応えることなく、ぎゅっとそのまま抱き込んだ。
ふっと安心できる香りが舞う。ずっとずっと、そうやって生きてきた。

「なに、考えてるの。いま」
「馬鹿だろおまえって思ってた。なぁ」

そして驚いたのは、自分がこんな甘いような優しいような声帯を持っていたと言う事実で。

「知ってるだろ。俺もおまえがいないと、駄目なんだ」


「うん」ひどく甘い声で、笑う。「知ってる」

「でも、俺はそれ以上かも、だけど」

落ちてきたキスに応じて唇を薄く開く。角度を変え何度も繰り返されるそれが次第に深くなる。慣れない感覚に、舌先から逃げを打ちたくなる。けれど柔らかく髪を梳いてくる指の動きに、ふと強張りかけた肩から力が抜けた。
歯列を割って侵入してくる熱量は、キスと言うよりかは口中を貪られているみたいにさえ思えてしまう。経験がないから、なのか。相手が慎吾だからなのか。たぶん両方なんだろうなと真白は思った。

唇が離れて、生まれた距離で慎吾と目が合った。頭に回していた手を解く。どこに戻していいのか中途半端に空を切った手を慎吾のそれが柔らかく絡め取る。
シーツの上にぱたんと落ちた手に視線をやると、「大丈夫」と囁かれた。
それは俺が初めに言った台詞だと思うと、少しだけおかしかった。

「大丈夫。怖くない」
「……慎吾相手に、怖いことなんかない」
「なら、なにより」

ふっと小さく息を落とした唇が首筋に触れて、輪郭をなぞる様に鎖骨に触れる。

「気持ちいいことだけ、考えてて」

鎖骨から下がってきた唇が胸の突起に触れる。恥ずかしいようなむず痒いような感情に、視線をどこに合わせたらいいのか分からなくなりそうだった。そうか、これが愛撫なのか。

啄むように転がすように動く舌を、こんなところまで器用なんだなぁと半ば呆れた。どこまでも自分とは違う。慣れている、と思うのはほんの少し面白くないけれど。

「……どうかした?」
「なんか、今、おまえとセックスしようとしてるんだなって気が、唐突にした」
「なにそれ」

ありのままを告げると、慎吾の顔がちょっと固まって、それから崩れた。

「もっと前からしててよ」

さっきまでのこなれた感じはどこに行ったんだと突っ込みたくなるような声に、胸がすいた。
うん、慎吾だ。俺の、慎吾だ。

「でも、すっごい、しろらしい」

その顔を見ていたら、たまらなくキスをしてみたくなって、自分からもう一度、手を伸ばした。


「っん……」
「んー、まだいけるでしょ?」

ぴくっと力の入った手を、ぎゅっと握り込み返されて、真白は反射のように眉を眇めた。
いや痛いとかいけるとか。おまえは一度でも自分の中に突っ込んでみたことあるのかと。そう言ってやりたいくらいには、慎吾は楽しそうだった。

「大丈夫、大丈夫。ほら、ちょっと違うお話でもしてみる?」
「いるかっ……て、あっ!」
「ほらー、いけた、いけた。3本目―」

頑張ったねーえらいねーと言わんばかりの褒め殺しである。だから先ほどまでのクソ甘いような空気をどこに捨ててきたんだおまえと。そう言いたい。
……なのに。

「ん? なに?」
「っ、んでもねぇよ! あほ!」

そんな俺にしか見せてないんだろうみたいな気の抜けた顔で。他の奴にはしてないんだろう自分専用みたいな扱い方をされたら、何も言えなくなるじゃないか。
そんな真白の葛藤を知ってか知らずか、慎吾は「あのさぁ」とまるで明日の夕食の献立を尋ねるように顔を覗き込んでくる。

「なん……だよ」

こっちは息も切れ切れである。別に何をどうしたと言う訳でなくとも、自分の身体に異物が入っている感覚は、想像していたより痛くはなかったが、疲れる。

「俺としては、もうそろそろ頑張ったら入るんじゃないかなぁと思うんですが、どうでしょう」
「知るか! ってだから、動かす……なっ」
「いやいやいや。だってしろの身体だし。しろに決定権を委ねようかと」

駄目だって言うんなら、俺、トイレで抜けるし。
ぬけぬけと笑いやがった男が何を考えているかぐらいは、分かってしまうのである。

「だからっ、いいって言ってんだろうが……!」

半ばやけくそで応じたにも関わらず、慎吾はとても嬉しそうに頷いた。

「了解しました。……ありがとね、真白」

だからそこで、名前を呼ぶのは販促だと、そう言ってやりたいのに。
そもそもお礼を言われるようなことではないだろうと、言いたいのに。
押し込まれた熱量に、頭がスパークして、何も分からなくなってしまった。




腰が痛い……気がする。

それが朝、目覚めた瞬間の城崎真白の初体験の感想である。
だが想像していたより全然大惨事じゃない。なんだ案外なんとでもなるもんだなと一人で満足したところで、あれとふと我に返ったのだ。

「……最後までしたのか、結局、俺は」

頭が飛んだ記憶が最後だ。
もぞもぞと起き上りかけたところで、部屋に相方の姿がないことに気がついてしまった。
なんだあいつ。
ほんの少しさみしい気がしたのはご愛嬌である。
けれどそれもほんの束の間で、すぐに玄関がガチャリと開く音がして、探していた人物が顔を出した。そして起きている自分を見とめて、若干申し訳なさそうなそれに変わる。

「あ、ごめん。しろ、起きてたんだ?」
「や……今、起きた」
「そっかそっか。ごめんね。ひとりで。ごはん食べるでしょ?」

今日はねー、お茶漬けにしてみました。ごはん炊いてなかったからねー冷ご飯。
と、いつも通り過ぎるくらいいつも通りのペースの慎吾に、「あの」と聞きかけて真白はちょっと躊躇った。

「ん、なに?」

何を聞くのだ、俺は一体。

「どうかしましたか?」
「……いや」
「どうもしないの?」

だがしかし、そこで真白は気が付いてしまった。
爽やかと表現して許されるレベルの慎吾の笑顔に、ものすごく面白がっている色が隠れていることを。

「――慎吾」
「だぁかぁら、なに? ってば」
「昨日、最後までしたか、おまえ」

面白がられている以上、言葉を濁しても無意味である。ずばっと聞いた真白から慎吾はしらっと視線を逸らして、レンジに冷ご飯の塊を突っ込んだ。

「おい、おまえな」
「えー? うん、内緒」

語尾にハートマークさえ付きそうな返答に、ぴきっと真白の長いはずの堪忍袋に火が付きかけた。
おい、俺は昨日、割と本気で一大決心したんだが。
そんな真白の変化に目ざとく気が付いたらしい慎吾が、慌ててへにょっと眦を下げた。

「いや、ごめん。ちょっとからかい過ぎたけど。でも大丈夫! 第一段階はクリアしたから!」

第一段階って、なんだ。
むしろどこだ。

「拗ねんなって。しろさーん」
「拗ねてはねぇよ」

むしろ拗ねるべきはおまえじゃないのか。と思わなくもないのだけれど。

「ご飯にするから、顔、洗っておいで」

ベッドまで近づいてきた慎吾の唇が掠めるように頬に触れた。
思わずばっと頬を押さえると、いたずらに成功したこどもみたいにして笑う。

「第二段階は、また次回、ってことでいいんじゃない?」
「……それは俺の台詞だ」

ギリギリで返したへらず口に、慎吾が「楽しみにしてます」と目を細めた。
そうだ、楽しみにしてればいいのだ。よく分からないけれども。

水道から勢いよく水を出し、顔を洗う。台所からは朝ごはんの匂いが漂い始めていた。
鏡に映りこむ顔は、昨日と一切変わらない。
だが、これが自分なんだろうなぁと真白は思った。

そして隣に慎吾がいてくれるから、このままでいられるんだろう。
ずっと傍にいてくれるこの日常こそが、幸せなんだろうと、もうずっと知っている。

長い間お付き合いくださりありがとうございました!
これにてシリーズ完結となります