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お隣さんの本音

「あれ、しろ。どうかした?」

いつも通り、大学からスーパーを経由して、夢見荘の真白の部屋に入った瞬間、違和感を感じ取ったのは、恋人と言うよりかは幼馴染みとしての年月の功かもしれなかった。

薄暗い部屋の中で、どことなく小難しい顔で黙り込んでいる真白に内心首を傾げながら、電気を点す。
と言うか、暗くなったら電気くらいつけなさいと思うが、言うだけ無駄かもしれないとも思うので、最早口にはしない。

それが幼馴染みの為になるのかどうかは謎だけれども、言うより俺がやった方が早いと判断してしまう性で、ついつい必要以上に手を貸してしまっている気がする。
まぁそれも、好きでやっているだけのことなのだけれども。

「しろ?」

だがしかし、ちょっと変の度合が強いかもしれない、と慎吾が判じたのとほぼ同じくして、真白が緩慢に視線を持ち上げた。
その眼がぼんやりとでも自分を映しているのが分かるから、慎吾は異変に気が付いてないふりでへらりと笑う。

「また眠いんでしょ、どうせ。ごはん食べるまでは起きててくださいよー、真白さん」
「慎吾」

真白にしては珍しい強い声で名前を呼ばれて、一瞬、笑みが固まった。
それでも反射の様な癖で、「なぁに」と柔らかい声音で応じる。
あんまり近づきたくないなぁと思う心を読んだわけではないのだろうけれど、真白が立ち上がって近づいてきた。
狭い室内で距離はあっという間に詰まってしまう。
そしてぎゅっと二の腕の当たりを掴んできたと思ったら、口の端にカツンと歯が当たった。視界一面にふわ、と黒髪が揺れる。

「ちょ、しろ」

これをキスと言っていいのか怪しい気もするけれど、でも、間違いなくキスだった。

「しろ、こら。……だから、どうしたのって」

まるでムキになった子どもみたいだ。そんな感想しか出てこない自分を笑えばいいのか褒めればいいのか微妙なところだなぁと思いながら、唇を押し当ててくる真白を引きはがす。
顔を見ようと思うのに、真白はもっとと言わんばかりに手を頬に伸ばしてくる。

「どうしたの、しろ」
「キス」
「したかったの? べつに、いくらでもいいけど。ほら」

宥めるように触れるだけのキスを落とす。と、何故か不満そうに真白が眉をひそめた。

「したかったんじゃないの?」
「……だけど。そうだけど、そうじゃなくて」
「なに、しろ。駄々こねてるみたいになってるよ」
「ガキ扱いすんなっ」

空気を和まそうと軽口を叩いてみたら、やたら激しく?みつかれた。想定外の反応に、あれ、と慎吾は固まった。
おかしい。

「別にそんなつもりはなかったんだけど。えー、と。だから、どうしたのって、しろさんは」
「我慢すんなって言った。したいんなら言えって言った。なのになんで我慢すんの、おまえ。なんでこうやって逃げんの、おまえ」

それって、お誘い? 再度軽口を返そうと思って開きかけた唇を閉じる。
なんだかなぁと思ってしまうのは、真白のそれが明らかに逆切れに近いなにかにしか見えないからだ。
でも、本音が入り混じっているのも分かるから、厄介なわけで。

「ちなみに、なんで急にそんなふうになったわけ?」
「どうでもいいだろ、そんなの」
「いや、良くはないでしょ。むしろ、一番大事なところでしょ」

そう思うのも本心なのだけれど。
冷静に冷静にと自身に言い聞かせるように、慎吾は細く息を吐く。どことなく不貞腐れたように真白が目を泳がせたのを視認して、あぁ、と合点が行った。

「あー……、もしかして南?」

押し黙った低い位置のある顔をまじまじと見つめ返してから、慎吾は「気にしなくていいのに」とふにゃりと笑う。
そう言えば、珍しく構内で真白を見かけたと思った直後、気の強い後姿が視界を過って行ったような気がしてきた。

「ごめん。なんか言われて気にしてくれた、とかだった?」
「そうじゃない」
「うん、そっか。でもありがとね? 気にしてくれて」

そう言ったのも、嘘じゃない。
なのに、真白は眉根を寄せて、まるで吐き捨てるみたいに「だから」と口にした。

「だからっ、そうじゃなくて! ……そうじゃなくて、我慢すんなって言ってるだろ、そうやって俺に気ぃ使うな! おかしいだろ、そんなの」
「えー……、だから俺も、そんなことないって言ってるのに」

あんまりと言えばあんまりな堂々巡りに、ついうっかり面倒くさそうな声が出てしまった。
いやだって、だからそう言ってるじゃん、俺。
そりゃ、いろいろ思うところがなくはないけど。でもそう言ってるじゃん。

「言えって」

慎吾の態度に触発されたみたいに、真白の口調が荒くなる。これも十分珍しいなぁと思いながら、こんな風に苛立つのも久しぶりだなぁと思った。
あのとき、以来だ。

――鈍感な幼馴染みを怒らせて、そして関係を超えようとしてしまった、あの日。


「なぁ、だから言えよ。おまえが言ったら、それでいい」
「――真白は?」
「俺が、なんだよ」
「だから、真白が言えばいいんじゃないのって言った」

別に自分の言質を取る必要はないはずなのだ。だって、お互い知っている。
真白が眉根を寄せて黙り込むのをみて取って、慎吾は、苛立ちを吐き出すように髪をかきやった。

「あのさ。別に責めるつもりで言ってるんじゃないんだけど。そもそも「言えよ」って俺に強請ってる時点で、それ、しろの意思じゃないと思うんだけど、違う?」
「そんなこと、」
「あるんだって。おまえが俺に遠慮するなって言ってくれるのもうれしい。それも本当」

それも本当だった。
遠慮しているつもりはないけれど、一歩引いたものの見方をしてしまう自分を自覚してはいたし、それを幼馴染みに「やめろ」と評されていることも知っていた。
だから、今の言葉も本音だ。でも。

「それ以前に、俺はおまえが……真白が本音でしたいって思わないことをしようとは思えない。いくらおまえが信じられないって言っても、俺の判断基準ではそうなってんの」

何が一番の本音かと言われれば、たぶん、これだった。

求められたいと思う。自分が押してしまった自覚があるからこそ、余計。そしてそれが真白にとって荷が重いだろうとも分かっていたから、望まないのなら我慢しようと思っていたし、決めていた。
でもそれは違うと、この間、当人がたどたどしくも伝えてくれたから、少しずつ進んでいければいいと思っていた。願っていた。
だから、変に意固地になって、焦って欲しくないと思う。

言い切った瞬間、真白の表情が、微かに止まった。ずっと隣にいた慎吾だから分かった変化だったかもしれない。
険しかった顔つきが抜け落ちたようになって、そしてまた眉根がきゅっと寄せられる。
泣きそうだ、と思った。

「あー……、ごめ」
「する」
「――俺の話、聞いてた?」

真白の泣き顔に、慎吾は弱い。それはそうだと思う。誰だって好き好んで好きな子を泣かしたくはない、はずだ。
口に上らせたはずのとりなしをぶった切って、真白が据わった眼で宣言した。「する」

「するって、真白、おまえな、」
「する。したい。する、慎吾と」
「だからどこの駄々っ子だっての。子どもじゃないって言うんなら、なんでなのかちゃんと教えてください」

それが出来ないなら、この話はもう終わりにしたいと心底思った。なんの堂々巡りだ。そして自分はそんなに出来た人間じゃない、と慎吾は自覚している。
だから、もう止めにしたい。なのに、

「おまえは俺のなのに、俺が知らないで、あいつが知ってるのが嫌だ。だから、したい」

そんな必死な目の色で、言わないでほしい。
そんな俺のことを独占したいみたいなことを、言わないでほしい。
あの真白が、独占欲だとか嫉妬心だとか、俺のことを好きだと思ってくれている証みたいなのをちらつかせないでほしい。

「なに言ってんの、俺はしろのものでしょ?」

何をしなくたって。たぶん、真白が自分の思いに応えてくれなかったとしても、永遠に片思いだったとしても、自分は真白のものだったんだろうなぁと知っている。
惚れた時点で、そうなのに。

「だったら、いいだろ。なんの問題があるんだよ」

問題、ねぇ。切々と訴えてくる真白に、慎吾はそっと息を吐いた。
なぁ、気づいてる? 微妙に手、震えてるの。目、泳いでるの。
緊張してるくせに、半分以上、勢いなくせに。

「真白」

微かに震えている指先を握り込むと、真白の纏う空気が揺れた気がした。

「俺も、一応、健全な男の子なんですけどね」
「んなの、見たら分かる」
「じゃあ自分が煽ってるのも誘ってるのも、自覚してる?」
「……して、る」

理性なんて、いつだってぶちぎれそうになるから、だから必死に誤魔化してたのになぁと、笑いたくなってきた。
好きだと言う言葉を免罪符にしたくないと思ってはいたのだけれど。

「後悔しない? 途中で止めれるほど、俺、出来た彼氏になれないと思うんだけど」

こうやって言質を取りたくなる程度には、まだ逃げ道を残しているつもりで。でもその実、じわじわと逃げ道を立っているような気もする。
真白が退かないだろうと、分かっている。

「おまえ相手に、後悔なんて、ないだろ」

まだどこかで迷っているんじゃないか、と思っていたのは自分だけだったのかもしれない。そう言い切った真白は、いつも通りのまっすぐさのままで。
「ごめんね」と言い掛けて、言葉を呑んだ。言うべきはそれじゃない。

「ありがと、真白。嬉しい」

お付き合いくださりありがとうございました!