学校一の刈谷くんマニアであろう俺が断言するのだから、間違いない。
刈谷くんが変である。
「……いや、まぁ、元から普通かって言われれば、ちょっと変だけど」
でもそこが可愛いんだけど。
と最早ナチュラルに思ってしまったが、最近の俺は、その俺の思考に撃沈する気さえ起きなくなる程度には、現状に慣れきっている。
だってあれだ。可愛いから悪いんじゃないかな、これ。とすべての原因を刈谷くんになすりつけたところで(というかすべからく刈谷くんの所為な気もするけども)、やる気なく頬杖付いていた体勢から身を起こして、右斜め前方の刈谷くんの後頭部を凝視してから、俺は深い溜息を吐き出した。
足りない。主に刈谷くんの顔が。
なんで現物が同じ教室内にいるのに画像で欲求を満たされなければならないのかと思いつつも、机の下でスマホの刈谷くんフォルダを展開。
ここ最近の俺一押しの刈谷くんは、なんといってもお泊り会の夜の無防備極まりない寝顔である。
あ、かわいい。
下手するとへらっと緩みっぱなしになりそうになる頬筋に気合いを入れ直して、再度画面の中の愛しの刈谷くんを視界に留める。眼福ではある。
「でもなぁ、あれなんだよなぁ……」
三度目の溜息を独り言共に吐き出した悩める俺に、こんなところまでお隣さんである花が見かねたのか鬱陶しくなったのか、ちょいちょいと腕を突いてきた。
「……なんだよ」
「ちょっとなんだよはこっちの台詞なんですけど。隣からここが地獄かみたいな溜息が何回も聞こえてきたら、あたしまで溜息つきたくなっちゃう」
「知るか!」
器用に上目づかいで抗議してきた花に小声でがなり返した瞬間、小田先生から「中村煩い!」とご叱責が飛んできた。
「だって花が!」
「小学生みたいな言い訳するんじゃない、中村」
憐みに満ちた瞳と共にずばっと返ってきたお言葉に、でもそうなんだもんとはさすがに言い返せない高校生の俺である。
だがしかし、花が俺に向かって小さく舌を出したのを俺が見逃すわけがない。
くそ、原因の半分はおまえだ。と言うか、だ。
刈谷くんの可愛さは天然だからしょうがないけど、あれだからね。おまえのあざとさは人工物だから許されないからね、俺的に。
またおまえらかよ的な笑いに包まれる教室で、俺は見てしまった。
ぴくっと跳ねた刈谷くんの肩と、そして明らかにしょんぼりと影を背負った後姿。
……ごめん、刈谷くん。俺、またなんか地雷踏みましたか、もしかしなくても。
あ、駄目だこれ。途方もない罪悪感を覚えた俺は、ずるずると机に撃沈した。さよなら科学。
なにが楽しいのかしつこくつんつんしてくる花をガン無視して、こそっとディスプレイをなぞってみる。
どこの乙女だ、と我ながら愕然としたが、実際問題、今の俺は刈谷くんに恋する乙女なのだから、摂理だ。たぶん。
画面上の刈谷くんはと言えば、大変あどけない顔でお眠りになっていて大変可愛い。普段あれだけ鉄仮面のイケメンのくせして、寝顔はかわいいとかどこの萌えキャラだよ。いやむしろ俺の萌えキャラだけど。
「やっぱ、あれか……」
ああああもうなんであんなこと言っちゃったんだ、あの時の俺の馬鹿! むしろ浮かれすぎだろ、あの時の俺!
出来ることなら頭を抱えて叫びたいくらいである。
最後の理性で我慢して、俺は間違いなく刈谷くんが変調した原因であるお泊り会の爆弾発言の夜に思いを馳せてみた。
初めに断わっておくが、俺は別に童貞を馬鹿にする趣味は、断じてない。
かと言って別に、「俺、経験者なんだぜ」と兄貴風を吹かす気もあまりない、はずだった。
だがしかし。
問題は、だがしかしなのである。
「やったこと? うん、一応、ある……けど」
「俺の、知ってるヤツ?」
「え、いや……、うん。知ってると思うけど。――気になるの?」
ちらっちらっと、どこまで聞いていいのか分からないけど、聞きたい。みたいな小動物的な瞳で俺を見つめてくる刈谷くんが、かわいすぎた。
問題があるとすれば、ここなのである。刈谷くん、かわいすぎ。
……だから、その、ちょっと俺の男心が痛んだと言うか、ちょっとからかってみたくなったと言うか、構いたくなったと言うか、なんというかついうっかり調子に乗ってしまったわけで。
「いや、別に、言いたくなかったら別に」
「言いたくないわけじゃないけど」
刈谷くんなら絶対言いふらしたりとかしないだろうし。
「そうなのか」
へへっとはにかんだ刈谷くんの可愛さと言ったらそれはもう、俺が殺されるレベルだった。
あ、キュン死にできる、俺、今なら。
「中村?」
つまりだ。つまり、そんな死にかけの勢いで、不思議そうな顔で問いかけてきた刈谷くんに、俺の可愛い恋心が疼いちゃったのである。
「ねぇ、刈谷くん。刈谷くん、キスは? したことある?」
「……」
あ、ないのね。
赤くなった顔と泳いだ目で丸わかりとか。可愛すぎか。
「刈谷くん」
「……なんだよ」
「じゃあ俺と、ちょっと1回、キスしてみる?」
だって、経験がないということは、ファーストキスじゃないの、これ。
「は?」
ぽかんと間の抜けた声を出した刈谷くんがいっそ怖いくらいの真顔で固まった。が、それさえも可愛く見える俺としては、無問題である。
そして可愛い刈谷くんの初めてのチューを奪えるのなら、全くの無問題である。
「刈谷く……って、痛い!」
同じ男のはずなのに、間近で見ても肌もきれいだとか、なんかもう別次元だな、刈谷くん。
そんなことを考えながらにじり寄った俺の唇は、あと一歩と言うところで、掌にぶちゅっと吸収されて押し戻された。
「ちょ、いひゃい! 刈谷くん、痛い!」
勢いそのままぐぎぎと押し返されて首があまりよろしくない方向に反っている。
「ギブ、ギブ」とバンバンとベッドを叩くと、俺の顔面を押さえていた刈谷くんの手が離れていってくれた。痛い、首が。
「刈谷くん?」
「――中村」
口元を手で覆ったまま刈谷くんは、あさっての方向を向きながら呟いた。そんな警戒しなくても、としょんぼりしたのはまた別の話である。
「中村」
「なに、刈谷くん。あの、ごめん。……怒った?」
ちょっと調子に乗ってしまったかもしれない、と冷静になった頭でお伺いを立ててみたものの、刈谷くんはふるふると表情を変えないまま頭を振った。
「怒っては、ない? じゃあ嫌だった?」
俺としてはそこが最大の論点だ。だがしかし刈谷くんは、何かを考えるように沈黙を保った後、ぐるりと俺に向き直った。
真顔だが、なぜかものすごく泣きそうにも見える。これはあれだろうか。俺の罪悪感が見せる投影なのか。
「キスとか」
「え、ごめん。キスだよね、ごめん!」
「いや。……だから、キスとか、そう言うのは、本当に好きな子と、するものだと思う」
そう、刈谷くんが言ったのである。
切々と、ちょっと普段言葉足りないと言うか足りなさすぎるよね、と評したくなる不器用な刈谷くんが、まっすぐに俺を見て、そう言ったのである。
「って、だからどこのピュアっ子なの刈谷くんは! って話じゃないのこれ!」
「……なんかよく分かんないけど、とりあえず真ちゃん、可愛そうなくらい刈谷くんに相手してもらってないんだねぇ」
ちょっとそのときのショックを思い出しながら、校舎の片隅で頭を抱えた俺を、なぜか呑気に花が見守っている。
「ほっといてくれる!? っていうか別に相手にされてないわけじゃないからね!? この間もご機嫌で刈谷くん泊まりに来てくれてたんだからね!?」
おまえが来るまでは。
八つ当たり気味に睨んでみたが、花は「んー?」とこれまたあざとなく紙パックジュースのストローを咥えながら首を傾げやがった。
一回くらいそこで筋違えたら、もうこれしなくなるんじゃないかな、と花の首に手が伸びかけたが、さすがに自重した。
「でも、真ちゃん。今もめちゃくちゃ綺麗にバッサリ刈谷くんに逃げられてたじゃない」
それを嬉々として追いかけてきたおまえに言われたくない。
だがしかし、事実だから困っているわけで。
「まぁ、刈谷くん、もともと一人が好きなんだろうしさぁ、追いかけすぎても逃げられちゃうだけじゃないの?」
「や、それは違……、いやまぁなんでもいいけど! とりあえず俺、嫌われてはないからね、たぶん」
ちょっと語尾が頼りなくなってしまうのは、件のお泊り会以降、刈谷くんが俺を明らかに避けているからである。
元からあっちから俺に近づいてくることはなかったが、それでも俺が近づけば、無表情ながらも微妙に嬉しそうに話してくれたし、そもそも刈谷くんは反応が人よりちょっぴり鈍いだけであって、自分に対して話しかけられた言葉を無視はしない。
話しかけた相手が去ってからぼそっと返事して、そんな自分に落ち込んでいる哀愁漂う後姿を目撃したことは何度かあるけれども、だ。
「ちょっと話したいんだけど、ものの見事に逃げられてるだけで、嫌われてないから、うん」
昼休みに突入した瞬間に突撃かまそうと思ったら、すでに消えていたと言う神業を披露されているだけである。
「さすが真ちゃん! ポジティブだね、頑張って!」
「……おう」
あれかな。やっぱピュアっ子な刈谷くん、もしかして俺にドン引いたのかな。あ、こいつといたら汚されるみたいな。
「大丈夫大丈夫! ポジティブ真ちゃん好きだよ、あたし!」
「おう。――――って、あれ?」
おざなりに花の励ましに相槌を打って、顔を上げた瞬間。
視界に飛び込んできたのは、ものすごい勢いで逃げていく刈谷くんの後姿だった。
「刈谷くん!? ごめん、マジでごめん! 怒ってるんなら謝るからごめんお願い、ちょっと待って!」
陸上部ばりのクラウチングスタートを切った俺に、「がんばれ真ちゃんー」と大変棒読みな花の声援が送られてきた。
言われなくても頑張らないわけにはいかない。が、早い。刈谷くん超早い。
「待っ、刈谷くん、お願い、マジ待って……、痛ぇ!」
そして転んだわけである。
奇しくも初めての告白を刈谷くんに捧げた場所である校舎裏に通じる角を曲がろうとして、勢い付きすぎて曲がり損ねたわけである。これだけ派手に転んだのは、小学生の頃自転車でバク宙を試みて失敗して以来じゃないだろうか。
顔面からスライディングかましたまま、項垂れていた俺だったが、近づいてくる足音とふいに落ちてきた影で、もそりと頭を上げる。
「……刈谷くん」
天使が立っていた。
お付き合いくださりありがとうございました!