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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《10》


【10】


神野と言う男は、不思議な男だと行平は思う。
それはもちろん、僧ではない(おそらく)にも拘らず、法衣を普段着のように着込んでいたり、錫杖を持ち歩いていたり、訳の分からない行動ばかり繰り返すと言う点においても、だが。

行平は密かに、助手席に腕組みをして深々と座り込んでいる神野を盗み見た。
誤解を恐れずに言うのならば、神野は魔物のようなところがある。
その、人を引き付ける整った顔立ちの所為なのか、のらりくらりと尻尾を掴ませない態度の所為なのか。

「……なんなの、滝川サン。今更、俺の美貌にやられたとか言わないでよ、鬱陶しいから」

不快そうに首を振って、神野は窓に視線をぷいっと向けた。
「誰がだ、誰が」と反射のように言い返した行平に、「はいはい」といかにも適当そうな相槌だけを放って、神野は車窓からのぞく山並を見つめている。
強奪されるままに貸してやったセーターにジーパン。だが足元は草履で、上着は例の墨黒の羽織だ。
明らかに変な恰好なのになぜか様になって見えてしまうのも、こいつの外見の所為なのかと思うと、どことなく釈然としない。

あの後、神野が本当に眠りについていたのかどうかは定かではなかったが、7時過ぎに布団から出てきた神野は、まったくいつも通りだった。
座り込んだままだった行平を一瞥して、「うわ、でっかい座敷童かと思った」と憎まれ口まで叩いてくれたことまで思い出して、行平は深い溜息を吐き出した。
もちろん、それで神野が動じるとは思っていない。

今朝もひどく申し訳なさそうにしていた佐和子に対して、神野は一切行動を取らなかった。
怒っているわけでも、無視しているわけでもなかったが、佐和子に謝罪させる隙を与えることもしていなかった。

玉響さまのお社にもう一度向かう前に、ふもとの村に降りてお社について調べ物をしてくると、外出を告げた行平に、彼女が安堵した表情を浮かべたのも無理のない話だろう。

「まぁあそこの人たちは、あんたにお社の話はしてくれないだろうね」

今まさに頭の中で考えていたことを口に出されて、行平はうっかりハンドルを取り損ねかけた。

「ちょっと、俺、まだ死にたくないんだけど」
「悪い、いや、でも、おまえが急に変なこと喋るから」
「うわ、この人、元警官の癖に人の所為にした。しかも俺、変なこととか言ってないし」
「……神野」

これこそ本当に今更かもしれないと思いながらも、行平は問い詰めずにはいられなかった。

「俺、おまえに、俺が前何してたかとか言った記憶ねぇんだけど」

「うん、ないね」神野はあっさり受け流した。

「ほらでも、恋する乙女って、好きな人のことだったら、意味分からない情報網でいろいろ知ってたりするじゃん。例えば、あんたがいい年してトマトが食えないとか」
「だからなんで、そんなしょうもないこと、おまえは知ってんだ……!」

勝てないと分かっているのに、なぜ食いついてしまったのか。後悔したところで後の祭りだ。神野は「だから恋する乙女なんだって」と気持ちの悪いことを言って、一人で楽しそうに笑っている。

「とにかく」

話を切り替えるように、行平は頭を振った。

「まず、来る前に寄った商店があったろ? そこから当たる」
「好きにすればいいと思うけど。成果が出ればいいけどね、ねぇ、所長さん」
「桐原に訊きに行くよりマシだろ、門前払いが関の山だ」

本来なら、社の管理を執り仕切っている人間に訊くのが一番の近道だ。神野の反応を窺って見たが、神野は、

「小っちゃそうな男だったもんね」

と肩をすくめてみせただけだった。
「そうだな」と溜息交じりに応じて、行平は意識を運転に戻した。トンネルを超えると天気が変わると言うけれど、この山道はほぼ雪が残っていなかった。

「あのさぁ」

2人きりの車内に、神野の声が響いた。

「あんたがやたら入れ込んでみえるのは、あんたのお人よしな性分? それとも自分の体験を投影して同情してんの?」

その話に戻るのか、と、行平は内心天を仰いだ。人家は、まだ見えない。

「……だったら、なんだ」
「下手したら人身御供にされてたかもしれないってのに、呑気だねって話」
「結果としてなんともないだろうが」

その話を佐和子から聞いた時、神野は傍にはいなかったはずなのだけれど。本当に何をどこまで知っているのかと憮然となった行平に、神野は小さく喉を鳴らした。

「あんたで代わりになるんだったら、身代わりになってあげる気はあったの?」
「……」
「あ、黙るんだ。そう言うとこ正直だよね、滝川サン」

まぁそれで本当に生きて当人が戻ってくるかどうかも甚だ怪しい話だけどねぇ、と嘯いた神野の横顔に、「なぁ」と行平は問いかけてしまっていた。

「神隠しに遭った人間は、どうなる」

神野の顔から貼り付けていた笑みが消えて、ふっと真顔になる。表情のない顔をしていると、この男は本当に作りものめいた美貌の持ち主だ。
何を期待して問いかけたのか、行平は自分自身でも困惑していた。
このひねくれ者の男のことだ。どうせ「死んだら消えるだけだ」だとか「知るわけがないよ。あんたが人身御供で行ってみたらわかるんじゃないの」だとか適当なことを言うに違いないのに。

そう予防線を張っていた行平にとって、神野から返ってきた応えは意外なものだった。

「神域ってのはさ、こことは違う場所だから。神様の国に一歩踏み入れたら、きっとその子は今までのその子じゃなくなるよ。だから家に帰りたいなんて思ってないんじゃないかな」

それはまるで、行平を慰めているみたいに聞こえてしまう。

「少なくとも神様に気に入られて連れてかれたんだから、あっちで至れり尽くせりで楽しくやってるんじゃない?」

返答できずにいた行平に、「なに」とほんの少し尖った声を神野が出す。それがもしかしたらこの男の照れなのかもしれないと思うと、行平は場違いだと分かっていながら楽しい気分になる。
いつも超然としている神野の人間らしさに触れられたことが、どことなく嬉しい。そして懐かしい既視感をくすぐられる回答が聞けたことが。

……って、嬉しいって、なんだ、俺。

自分の思考回路に「恐ろしい」と頭を振りながら誤魔化すように行平は口を開いた。

「いや、昔、それと似た話してもらったことがあって」
「なにその顔。それ言ったの、滝川サンの初恋の相手だったりすんの、まさか」

眼を眇めた神野を余所に、行平は「そうかもな」と素直に応じる。
記憶に残るのは、長い黒髪の日本人形のように整った顔立ちの少女だ。おそらく行平よりいくつか年上だったはずだから、今頃どこかでもう結婚して母親になっているのかもしれない。

「小さいころ、じいさんに連れて行ってもらったことのあるお屋敷で遊んだことのある子だったな」
「珍しいね、滝川さんが自分からそんな昔話するの」
「俺がしなくてもおまえが知ってるからだろ」

意外そうに目を瞬かせた神野に、言い訳してみたものの、確かにそうだなと行平自身気づいていた。

「どうせおまえは知ってんだろうけど、俺には妹が居たんだ」

視えてるよ、と嘯いた神野の艶めかしい唇が脳裏にちらつく。運転に集中するふりをして、神野から視線を外したまま行平は、一人ごちるように問いかけた。

「あいつは成仏してないのか」

俺は何を期待してるのだろうと、反芻しながらも自分でも分かっていた。
記憶の中だけに住む少女が、幼い行平の手を慰めるようにそっと握りしめる。
その柔らかな温もりを、今でも行平は覚えているような気がするのだ。

妹が居なくなって、自分ではどうにもならなくて、行平は祖父に一度連れて行ってもらっただけのお屋敷を頼って押しかけた。
その屋敷には、自分のように人外の力を持った人間がいることを知っていたから。助けてもらえるんじゃないかと、そう。子どもの抱いていた淡い期待は門前払いと言う形で返されてしまったのだけれど。

それでも諦めきれなくて、行平は屋敷に忍び込んだ。以前訪れた時、遊んでくれた少女がいたことを思い出して、彼女を必死で探した。
そして、縋った。
彼女は妹を救いだしてはくれなかったけれど、神様の国の話を行平に聞かせて一晩中、慰めてくれた。
きっと苦しんでいないのだ、と。

それはその少女のその場しのぎの優しさだったのかもしれないけれど、不思議と彼女が囁くものが真実に幼い行平には聞こえた。
その声に、あのとき行平がどれだけ救われたか、当の少女さえ知らないのだろうけれど。


それと同じ救いを、あの時の少女と似たことを述べてくれたと言うだけで、目の前の男に求めているのだとしたら、それはひどく身勝手だと、行平自身が一番分かっている。

なのに、たまりかねたようにそれを吐き出してしまった。

「さぁね」とぽつりと神野が零した。

視界から外そうと努めていたせいで、神野がどんな顔でそれを言ったのか、行平は知らない。

瞼の裏に幼い少女の無邪気な笑顔が浮かぶ。振り切るように行平は前方に見えてきた目的地の商家に意識を集中させる。
目の前の事案に自分の感傷を持ち込むとろくなことにならないことぐらい、神野に言われなくても分かってはいるのだ。

お付き合いくださりありがとうございました!