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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《12》


【12】


案の定、玉響の佐和子の家に辿り着いたころには、視界の効かない吹雪になってしまっていた。

車を止めて玄関に駆け込む間に雪まみれになる。ふるふると猫のように頭を振っている神野の肩を払ってやっていると、奥から佐和子が姿を見せた。

「お帰りなさい。吹雪いてきましたね。寒かったでしょう?」
「ええ、なかなか冷えますね」
「あの、それで滝川さん……」

そわそわと声を上ずらせる佐和子を宥めるように行平は笑いかける。

「すいませんが、風呂貸してやってもらえますか。あちらには私がお伺いしますので」
「え……ですが」
「こいつ連れて行っても碌なこと言わないですよ。あなたも知ってるでしょう?」
「ちょっとなにそれ。すごい言いがかりなんですけど」

頬を膨らませた神野の頭をおざなりに撫ぜ込みながら、行平は駄目押しに付け加えた。

「それに余計なことを言ってあちらの気分を害した、なんてことになったら困りますしね」

二人一緒に、とでも告げられていたのだろう佐和子は、行平の台詞に視線を戸惑い気味に彷徨わせたが小さく頷いた。
それを見とめて、行平は神野の背をほら、と押す。

「平岡さんもそう言ってくださってるんだから、素直にゆっくりしてたらいいだろ」
「あんたさぁ」
「なんだよ?」
不快気に眉をひそめた神野は、行平と視線だけで攻防戦を繰り広げた後、面倒くさそうに嘆息した。

「あんたのその善意の無駄打ち、本当、碌でもないよね」
「碌でもないのは俺だって言いたいのか、もしかしなくても」

「さぁね」ふっと神野が視線を落として言い放つ。「あんたがそう思うんならそうなんじゃないの」

その言いように行平は微かに眉を寄せた。よく神野がする適当な台詞だが、それにしても刺々しい。けれど行平が問い質そうとするより早く、神野がするりと背を向ける。

いつもそうだ。行平が向き合おうとする前に、神野は逃げる。
これ以上の深みには入りたくないと言うように。関わりの線引きをするように。

「心配しなくても、所長サマのご命令通り俺は大人しくしてるから、一人で変態に会いに行って来たら?」

こちらを振り向きもしないまま、手だけをひらひらと振った神野は、佐和子の隣をすり抜けて家中に消えていく。
不安そうにその背を見つめていた佐和子に、「私が行きますから大丈夫ですよ」と取り成してから、ふと思いついたかのように行平は声を上げた。

「そう言えば平岡さん。まだはっきりお聞きできていなかったんですが、ここの神隠しの伝承、教えて頂けませんか」

寒々しい沈黙の後、佐和子は言葉にならない声を落とした。
そして静かに視線を上げる。

「馬鹿みたいなことだとお思いだとは思いますが、ここではそれはこの平成の世でも禁忌だったんです」
「禁忌、ですか?」

それは神隠しが、だろうか。この集落を仕切っている桐原が、だろうか。
佐和子は口元を手で抑え込んだまま、応える。
行平は黙って、語りに耳を傾けていた。外では雪起こしが鳴っているような気がした。


ここのような孤立した集落で、村八分にされることは、生きていけないことと同義です、と佐和子は言った。

今ならまだここを出ると言う選択肢もあったのかもしれないが、それさえも不可能だった時代もあったことは想像に難くない。
佐和子も詳細までは知らない、と断っていたが、彼女の祖母から伝え聞いた話によれば事の起こりは江戸時代の半ば頃のことだと言う。
その当時からここ一帯の大地主だった桐原の嫡男に惚れた妖狐が居たそうだ。

『玉響』
それが妖狐の名だった。
桐原の子息に惚れた玉響は、人間の女に姿を変え、彼のもとに嫁いだ。彼の子どもを生み育て、同じ時間を過ごしたかった彼女の願いは正体が露見したことで立ち消える。

見破られた妖狐は、社へ泣く泣く逃げ出した。これでもう逢うこともない。嘆く妖狐の元に、彼女を心底愛していた息子は彼女のため社に向かおうとしていた。けれどそれも叶わなかった。

「あれは化け物だ」「あいつはおまえを殺すつもりだったんだ」「おまえはあいつに騙されている」父親に頭ごなしに決めつけられても、男は決して首を縦には振らなかった。そして自分の命令を聞かない息子を、当主であった父親は許せなかった。激昂し、殺してしまったのだ。

愛する男を無残に殺された妖狐は、怒り、桐原を祟った。疫病が流行り、不幸が続くようになった。


それを止めて見せたのが――

「突如現れた、黒衣の法師、か」

玄関先で佐和子と二人話している間、一度も気配を感じさせなかった神野の顔を、出る前に一度見ておけば良かったかとふと思いついてしまって、その思考に行平は身震いする。
なんだそれ、絆されてるにしてもほどがある。

佐和子の家から桐原の屋敷までは平時なら歩いて五分もかからないだろうところだ。慣れない積雪と吹雪に足がとられるが、それでも倍の時間もかからぬうちに着くだろう。不明瞭な視界の先に、長々と続く生垣の途切れめが映りこむ。

どこかで聞いたような伝承だと言うのが、佐和子の話に対しての正直な感想だった。
祟られていた集落に現れた流浪の法師。その男の活躍で、祟りは静まった。以来、桐原の家系は法師の命に沿い、毎日お社に桐の花を供えるようになる。
それが今日まで続いているのは流石だ、と言うべきなのだろうか。

「それが神隠しにつながるのですか」と尋ねた行平に、佐和子は頷いた。
愛した男と自分がつくることのできなかった子どもが恋しく、玉響さまは時折人の子を攫うのだ、と。
二、三日で戻ってくることが多いが、戻らないこともある。昭和初期――佐和子の祖母の時代には、神隠しは珍しいことではなかったそうだ。
そして幼いころ、佐和子の友人も一人、一時行方知れずになったことがあると言う。

「その子は無事に出てきたのですけれど、人が変わってしまったようになって、結局家族でここを出て行ってしまいました」

息を止め、けれど一挙に吐き出すように佐和子は顔を上げた。

「桐原さんのおうちは、玉響さまと取引をすることが出来る唯一のおうちだと聞いたことがあります。竜一さんは形式的なお供えをしているだけでそんなことはできないと仰っていたのですが――あなたたちの力を借りられるなら出来るかもしれない、とそう言ってくださったんです」

言い切った彼女はまっすぐに頭を下げた。スカートを握りしめている拳は力が入りすぎているせいでひどく白かった。
行平は宥めるように彼女の肩に触れる。読み取るつもりは、なかったと思う。行平の意志よりも佐和子の中に溢れる思いがあるいは強すぎたのだろうか。

触れた先から、佐和子の隼人少年への思い出ばかりが流れ込んでくる。少年が幼いあどけない顔で笑う。笑って母に甘えるように手を伸ばす。

――お、かあ、さ ん。


お母さん、と。世界のすべてがそこにあるように少年は心底安堵した声を出す。


堪え損ねかけて行平は、手を浮かした。
不思議そうに佐和子が顔を上げる。その目には、縋りたい希望が光っている。

「……分かりました、以外にどうせ俺は言えねぇよ」

その喪失のたまらなさを、知ってしまっているから。
同族相憐れむ、と神野だったら言いかねない。そしてそれはある一面では正論でもあるのだけれど。

独りごちて、行平は迫りくる門扉を見据えた。
神野ではないが、あの不遜そうな男が自分たちに助力を要請するようなことはあるわけがない気がしてしょうがない。

けれど、少年を探す手がかりは一つでも多く見つけなければ意味がない。
呼び鈴を押しかけて、行平は自身の右手に視線を落とした。ゆっくりと掌を開く。雪の結晶が掌の温度に触れて霧散していくのを、ぎゅっと固く握り込んだ。

「あいつは、どんな顔しただろうな」

もし、佐和子の話を聞いていたら。
意識しないまま零してしまったそれは、深淵に触れてしまいそうなほど密やかな暗さをはらんでいた。

お付き合いくださりありがとうございました!