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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《13》


【13】


「竜一さまがお待ちです、どうぞこちらへ」

呼び鈴押すとしばらくして姿を見せたのは、家政婦の中年の女性だった。
連れられて、広く古めかしい邸宅に招かれる。長い廊下を歩んで行き当たった襖の前で女性は足を止めて、視線で促した。
そして一礼だけを残して、元来た道を戻っていく。

一人取り残された行平は、目の前の障子に向かってほんの少しためらった後、「滝川です」と一声かけて障子に手をかけた。
10畳ほどの和室は、窓が締め切られているせいで薄暗かった。どことなくクラシカルなソファとテーブルが置いてあるのが、大正浪漫な空気を醸し出している。
奥まった場所にある一室だが、昔からの応接室なのかもしれない。
その一脚に悠然と腰を下ろしていた桐原が、行平を見とめて、片眉を上げて見せた。

「なんだ、あんただけか。二人で、って伝えたつもりだったんだがな」
「私一人で十分だ、と私が判断したまでです。平岡さんはしっかりあなたの要望をお伝えくださいましたけれどね」

隠しきれない棘を含んだ応答に、桐原が微かに口元を歪めた。

「あの人の話で何をどう勝手に解釈したのか知らないが、その様子だと『玉響さま』の伝承でも聞いたか? あぁ別に誤魔化さなくてもいい。俺が喋ってもいいって、そう言ったからな」

不意に、昼間聞いた店主の声が脳裏をかけた。

――あそこの神様は桐原みたいなものだから。
それはつまり、こういうことなのだろう。
幼い、と言うだけでは表現できない目の前の男の絶対的な自信。自分の言葉が命令になっていることへの確信。

何故こんなに苛立つのだろう、と思いながらも、行平は努めて平坦な声を出す。
神野と対峙するときも、絡め取られまいと気を張ることも多い。けれど、これほど厭な気分になったことはない。

「触りは聞きましたよ、確かに。彼女はあなたたち一族なら玉響さまと交渉する力を持っていると、そう言っていましたが」
「だろうな」

分かりきっていると言いたげに切り捨てて、桐原がゆったりとソファから立ち上がった。そして作り付けの棚にもたれ掛りながら、微かな笑みを刻む。

「あの人の言う寓話の続きを話してやるよ。黒衣の法師が妖狐を静めて、その後ずっと、桐原の家が毎日欠かさず供え物を祠に置いて居る辺りまでしか聞いてないだろ?」
「続き……?」
「法師のおかげで祟りは止んだ。が、しばらくしたら今度は子どもの神隠しが頻発するようになった。自分が産めなかった子ども恋しさからだろう。すぐに戻ってくることが大半だったが二度と戻ってこないガキもいた」

佐和子の語りと同じだった。ここの神隠しは、妖狐だったか。

「そんなのが頻発したら大事だろう。だから、俺たち桐原が契約したんだ」
「契約ですか」
「たまたま力あるものが生まれたんだそうだ。そしてその男が、玉響の社と新しい契約を結んだ」

うっそりと笑った桐原の視線が窓の外に転じる。どこを見ているのかは、言われなくても分かる気がした。あの山だ。
少年が消え、そして行平の知らない誰かも過去に消えている場所。玉響さまの、社。
聖域だと言ったのは、神野だっただろうか。

「これからは毎日、おまえが愛した桐原の血を継ぐ人間が、おまえに会いにここまでやってくる。だから、戯れに村の子どもに手を出すな」
「……でも、神隠しは止んでいませんよね」
「そりゃ、万能じゃなかったってことだろう。それでも、桐原があの化け神と唯一交流を取れる人間だと言うことに変わりはない」

桐原の眼が挑発的に光って、行平を捉えた。

「神隠しに遭った人間を、取り返したいんだろ? ここの神と対話をすることが出来るのは俺だけだ。どうしたらいいか、分からないか?」

――できるのなら、本当にそれが出来るのならば。
何故、あの子が居なくなってすぐの時に、しなかった。
問い詰めたいのを呑みこんで、行平は頭を下げた。

「私にできることだったら。……あなただって、平岡さんを慰めていたと聞きました。平岡さんのためにもお願いします」

行平を静かに見下ろしていた桐原は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「よく他人の為に頭下げられるな。それとも仕事を成功させたいあんたのプライドか」
「いなくなった人を見つけてあげたい、返してあげたいと思うのは当たり前じゃないですか」

「へぇ」と桐原が薄い笑みを張り付ける。「そのためならどんなことも出来るって?」

「私が出来ることだったら、ですが」

繰り返した行平に「あんたにできることだよ」と桐原が嘯いた。

「こんな田舎にいると、なかなか楽しいこともないって分かるだろ? だから一晩、暇つぶしさせてくれないか」
「私で良ければなんでもお付き合いしますよ。なんなら酒でも飲みましょうか」
「分かっててはぐらかすなよ、面倒くさい。なんでむさいあんたと仲良こよしな時間を持たなきゃならないんだよ。あっちに決まってんだろ、あんたの連れ」

だから、会わせたくなかったんだ。
ぎり、と込み上がってきた感情を噛み殺して、あくまでも穏やかな表情を張り付ける。

「私にできることだったら、と言ったはずです。うちの助手はおもちゃじゃありませんし、当たり前ですけど物じゃない。――お断りします」
「それは、子どもは見捨てたってことでいいんだな」

威嚇のような低い声が室内に静かに響いた。行平は、幼い暴君じみた若者をぴたりと睨み据えたまま、首を振る。

「あなたに頼らなくてもいい道を探すだけです」

へぇ、と暗い笑みを男が浮かべる。「俺に頼らない選択肢をしたんなら、永遠に見つからないだろうなぁ、佐和子さんも可哀そうに」

立ち上がった桐原が、ゆっくりと近づいてくるのを、行平は確かな敵意を持って睨みつけた。


「――少しでも、あんたを信用しようとした俺が馬鹿だった」

信用しようと思ったのは、人として当たり前だと行平が信じている情、だったのかもしれない。

行方の分からない誰かを、探す手立てを持っていてなお、それを実行しないものが居るのか、と。
男の唇が言葉を紡ぐために動く。けれどその先を聞くつもりはもう行平にはなかった。

お付き合いくださりありがとうございました!