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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《15》


【15】


「滝川サンさ、覚えてる? あんたが消えてくれたらよかったって言われたこと」
「え、ああ」

その言い方だとかなり語弊はある気がするが、確かに同じようなことは彼女に告げられた。

「あの人の言ってたことは、あながち嘘じゃなかったってことだよ。身代わりの定義は違ったみたいだけどね」

神野の感情のない瞳が社を捕える。

「贄の祭壇だ」
「贄ってどういうことだ?」
「さぁ、せっかく視える手を持ってるんだから、それに訊いた方が早いような気がしなくもないけど、滝川サンは見たくはない光景だろうね。教えてあげようか?」

うっそりと微笑んだ神野に、必死に何かを訴えるように桐原が声にならない声を上げている。それがひどく癇に障った。

「この男はね、あの人のことも気に入ってたらしいね。そしていつも傍にいる一人息子が邪魔だった」
「……まさかこいつが殺したとか言わないだろうな」

低くなった行平の声に、神野が小さく喉を鳴らした。

「まさか。この男にそんな度胸ないでしょ。この男がしたのは、あの社に入るよう誘導したって言うそれだけだよ。入った後、どうなるか分かったうえで、ね」

行平は、自分から視線を逸らして俯いている男の頭部を気が付けば凝視していた。
こんなに触れるか触れまいか迷ったのは、初めてかもしれなかった。
そんな行平の戸惑いを嗤うように神野は続ける。

「桐原の契約は、化け物が欲しがった桐原家の男児を差し出すことで成り立っていた。それは話し相手であったり、あるいは性交の相手だったりしたんだろうけれど。たぶん、この男の祖父だろうね。彼が最後の玉響の相手だったんじゃないかな。そして玉響に生身の人間を差し出さなければならない期限も近づいてきていた」

ちょうど良かったんだろうね、と神野が呟いた。

「自分の代わりに男の子を差し出して、玉響を騙して自分の身の安全を保障して。そして一人息子が消えて傷心の女に付けこむには」

――それがもし真実だと言うのならば、あまりにもひどいと思う。
心底、思った。憎いと、思った。
瞬間、だった。

触れてもいないはずの行平の指先から流れ込んできたのは、この地の記憶だった。


親密に語らいあっている様子を見せているのは、桐原と隼人少年だった。信じられないことに桐原は優しげな笑みを浮かべていた。
少年は甘えたように拗ねたように唇を尖らす。彼にとって桐原は信頼できる大人であり甘えられる大人だった。

少年が不服そうに自分を構ってくれない母のことを漏らす。
女手一人で子どもを育てるのは並大抵じゃない。きっと佐和子にも余裕がなかったのだろう。少年もそれは分かっていて、だから母には言わなかったし、言えなかった。

でも、寂しかったのも本当で。だから今この場だけ、拗ねてみたかっただけなのだ。


桐原の手が少年の頭を撫でる。そして嗤った。

――なぁ、それならちょっとだけ、お母さんを驚かしてみたらどうだ? ここで遅くまで遊んでたら、佐和子さんが迎えに来るだろ? そのときに、あの社の中に隠れていなくなったふりをしたらいい。

でも、と少年は迷うように瞳を彷徨わせた。それじゃ母さんびっくりする。

――どうせすぐ出てくるんだから、大丈夫だよ。それに隼人がいなくなって心配してくれるお母さん見たら安心するんじゃないのか? 大事にされてるって。

そうかな、と少年ははにかんだ。
母さん心配してくれるかな。俺を必死で探してくれるかな。

大丈夫だよ、と桐原が囁く。
きっといいものが見れるよ、と。

そこが、なにの入口かも、知っていて。



「――桐原!」

溜まらず、行平は足元に蹈鞴っていた男の胸ぐらをつかみあげ、引き立たせていた。
桐原は何も言わない。否、言えない。
神野がどんな魔法を使ったのか、行平には分からない。けれど、神野は一言でこの男から言葉を奪った。

「弁解したいんだったら、言い訳でもその場しのぎの嘘でもなんでも喋ってみれば?」

おざなりに神野が右手を振る。途端、激しく咽びながらも桐原が堰を切って叫ぶ。

「あんた、あんな化け物の言うこと信用する気か! 俺と化け物とどっちを信じるんだよ!」

何を言っているのだと思う。
恥も外聞もなく喚く桐原の後ろで、神野はひどく静かな顔をしていた。

「そんなもん、あいつに決まってるだろうが」

当たり前の、ことだった。
この男をいまさら信用する道理がない。神野を疑う理由もない。

「あんたはっ、あいつの正体を知らないから……!」
「知るかよ」

言い募る桐原を一蹴して、行平は掴んでいた襟首から手を離した。再び雪中に崩れ落ちかけたその体を支えてやろうと言う気は流石に起こらなかったが、これ以上の何かを言う気にもなれなかった。
意味がない。

「どうでもいい」

留めなく雪は降り続けていた。あの場所に隠れた少年は、何を思っていたのだろうか。寒くはなかっただろうか。母が気付いて戸をそっと開けてくれるのを、心待ちにしていたのではないだろうか。

寒さだけの所為ではないと思う。男から外した行平の手は震えていた。

「おまえは人間か、って聞かないの。滝川サン」

不明瞭な視界の中、不思議と神野の顔だけははっきりと見える。なんでそんなことを聞くのだと溜息を吐きたくなった。

「どっちでもいいよ。俺にはよく分かんねぇけど。……っつか、似たようなもんだろおまえは、どっちでも」
「なにそれ」

神野がおかしそうに小さく肩をすくめてみせた。「滝川サンらしすぎて笑える」
そして、錫杖を高々と持ち上げる。

「そいつと引き換えに、子どもを取り戻せるかもしれないって言ったら、どうする?」

うっそりと笑んだ唇の紅さは、毒そのものだと行平は感じた。
神野が雪中に振り下ろした錫杖が、しゃらんしゃらん、と高い音を立てている。
行平の脳裏に、いなくなった少年の笑顔と、自分から必死に視線を逸らそうとしている傲慢な青年の不遜な笑みとが交互にちらついた。

――けれど、
知らず唇を噛み締めていた行平に、「できないよね」と神野が笑う。

「滝川サンは選ばないよね」

しゃんしゃんと、耳鳴りのように錫杖が鳴り続けている。

「でも」

神野の眼が黄金色に光っていた。

「俺は、選べるよ」

錫杖が鳴る。それはまるで共鳴するように。何かを呼び寄せるように。

「……神埜(かみの)」

行平の口からぽろりと零れ落ちたそれは、ずっと記憶の底に沈めていたものだった。
本人さえ忘れていたような、幼いころ聞かされた昔話の英雄譚。

「神殺しの神埜か……!」

神野は何も応えなかった。ただ、錫杖の鳴る金属音だけが木霊している。
蜃気楼でも起こったかのように祠がぶれて視えた気がして、目を凝らした瞬間だった。社を中心とした突風が巻き起こり、行平は思わず腕で目元を押さえた。

お付き合いくださりありがとうございました!