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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《4》


【4】


「あんたさ、探偵なんて辞めて、カウンセラーにでもなった方がいいんじゃないの」

用意されていた客間の布団の上に寝転がりながら、神野が口の端を上げた。
平岡隼人の行方不明を伝える新聞記事に目を落としながら、行平は微笑を漏らしてしまった。
お構いなしに寝転がっているせいで、裾から長い足がのぞいている。温泉旅館ではしゃいでいる小さな子どものように見えなくもない。

「だったらおまえの悩み相談でもしてやろうか、なんで呪殺屋なんてのやってんだ?」
「いらないっての、あほらしい」

即座に切り捨てた神野が、寝そべったまま近づいてきた。両肘の力だけで器用にやってきて、行平が膝の上に広げていたファイルを覗き込んでくる。
行平が長年の習慣で行方不明事件の記事をスクラップしていたものだ。平岡隼人の記事も、半年近く前の行平がしっかりと切り取っていた。
書いてある内容は、佐和子が話していたものと相違ない。

ふわりと、風呂上がりの匂いがして、沸き出てきた疑問に行平は眉をひそめた。

「おまえ、着替えもなんも持ってきてないけど、どうするつもりだ」
「まぁいざとなったらあんたに借りるつもりだったけど」
「……借りるって、おい、俺はおまえとパンツ共有したくなんてねぇぞ」
「あぁ、それは大丈夫。俺、ノーパン派だから」
「余計それでズボンなんか履かれたくねぇよ!」

怒鳴った行平に、神野はけらけらと笑っている。冗談であることを祈るしかない。
頭を抱えた行平にお構いなしに「そういやさぁ」と神野が上目で見上げてきた。

「あんたの“特技”、俺、初めて見たんだけど」
「そうだったっけか」
「うん、そうだよ。あのおばさんも言ってたけど、未解決事件を追え! みたいなのでやってるのと同じ感じ? 残留思念を読み取ってる、みたいな」

興味深そうに瞳を大きくしている神野の姿だけを見ていれば、無邪気に見えなくもない。「いや」と行平は曖昧に首を振った。

「たぶん、似たようなもんだと思ってるけど。超能力者みたいな言い方されると、そんなたいそうなもんじゃないって否定したくなるな」
「なぁんか微妙な言い分。でも実際、視えるんでしょ?」
「視えるよ」

あけすけに問われて、行平は苦笑を落とした。

物心ついたころには、行平は、触れたものの記憶が読み取れてしまう子どもだった。
知っているはずがないことを口にしたり、人に触れただけで秘密を読み取ってしまうことがあった行平は、両親に気持ち悪がれていた。
幸い、行平の父方の祖父が、「うちの家系には時々、お前のような人間が現れる」と、優しい瞳で諭して、様々な自制を教えてくれた。だから今では誤って人の秘密を覗くようなことは滅多にない。

祖父に連れられて、何度か行平と同じような不思議な力を持つ人に会いに行ったこともあるが、行平自身があまり自分自身の力を望んでいなかったため、交流が続くことも新たな力を得ることもなかった。

今、こんな風にしてその力を利用している自分から顧みれば、もう少し話を聞いておけば良かったかもしれないとも思うが、その祖父も十年以上前に鬼籍に入っている。

「じゃあさ」と神野が何の気もないように口を開いた。「あんた、過去視以外もできんの?」

「以外って……」
「霊感があるとか、未来が視えるとか」

行平は息を詰めて、神野に視線を落とした。神野は読めない表情で笑っている。

「……おまえな」
「なぁに?」
「霊感も超能力もごちゃまぜか」
「似たようなもんじゃないの。普通じゃないって点で」

それは確かにそうかもしれない。行平は小さく息を吐いて、ファイルを閉じた。

「俺は幽霊は視たことはない」
「へぇ、そうなんだ」
「おまえは?」

ふと思いついて、問いかけてみると、神野は柔らかい笑みを浮かべる。

「俺は強いからね。視えるよ、なんでも」
「ほぉ、そらすげぇな。さすが呪殺屋さまだ」
「うん、まぁね。だから、あんたに憑いてるのも視えてるよ」

行平は、優しいと勘違いしてしまいそうな微笑を湛えている男の顔を凝視した。神野は、何も言わない。行平をじっくりと見つめている。
行平が口を開きかけた瞬間、すっとその唇を動いた。

「あんたによく似てる、女の子」
「…………おま、え」

問いかけたいはずなのに、言葉は全部喉の奥に張り付いたみたいに消えていく。
行平をゆっくり見つめ上げて、ふっと神野は微笑った。

「また明日ね」
「っ、おい……」
「お休み、滝川サン」

妖艶な笑みを浮かべて、神野は布団の中に潜り込んでいく。行平はしばらく、籠った塊を見つめていたが、ゆるゆると目を覆った。

遠い声が聞える。過去を視ているわけじゃない。行平の脳内に棲みついている、後悔だ。
耐えるようにぎゅっと行平は目を閉じた。

「おまえは一体」

絞り出した声は、みっともなく揺れていた。

「どこまで知ってるんだ」


苦渋に満ち満ちたそれは、二人きりの客間に吸い込まれていく。
答えは、返ってこなかった。

お付き合いくださりありがとうございました!