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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《6》


【6】

「また、あんたらか」
「あの、」

再度、声をかけようとした行平の横を素通りして、男はお社を目指して突き進んでいく。その手が握りしめているのは、季節外れの桐の花だった。
お社の正面で、男は躊躇わず、雪上に膝をついた。そして手にしていた桐の花を献上するかのようにお社に置く。
その動作を静かに見守っていた神野が「ねぇ」と声をかけた。男はゆっくりと立ち上がって、神野を値踏みするように見据えていたが、神野は相変わらずのマイペースで、
「あんたが、ここの守?」
と首を傾げた。
守り人――このお社の管理を委ねられている人間か、との問いかけに、男はつまらなさそうに眉を上げた。

「あんたたちは神隠しを信じてるクチなのか」

神野の質問の答えになってはいなかったが、行平は青年に向かって一歩進み出た。

「君は信じていないのか?」

「馬鹿らしい」青年は不遜に言い放って、行平を睨んだ。「まぁ、……佐和子さんがそう思いたいのは分からなくもないけど。あるわけがない」

「そうなの? その佐和子さんは、村の人もみんな『神隠しだ』って言ってたって言ってたけど」

笑いかけた神野から、男は一瞬視線を泳がせた。

「年寄りが慰めただけだろう。それよりもあんたたちはまた適当な嘘を並べて、あの人から調査費だ祈祷料だってぼったくりに来たんじゃないのか」

余程それの方が問題だ、と言いたいらしい青年に、行平はにこっと愛想の良い笑みを向ける。そして彼の前まで歩んで、取り出した名刺を一枚差し出した。

「たいした身分証明にはならないかもしれませんが、探偵です。ぼったくるつもりはありません。――あのもしよろしければ、このお社のことについてお伺いしたいのですが」

名刺を右手で弄んでいた青年が、不機嫌さをあらわに眉間に皺を寄せた。

「だから、神隠しなんて有り得ないと、そう言ってるだろう」
「べつに、この地域の信仰について聞きたいって言ってるだけじゃん。神隠し、神隠しって。この社は子どもを攫う神様でも祭ってんの」

離れた位置から口先だけ割り込ましてきた神野に、男は手にしていた名刺を握りつぶした。風に舞って、雪上に落ちる。

「端から神隠しがあると思い込んでいる人間に、何を話しても無駄だ」
「うちの助手が失礼を。ですが私は……」
「あんたに話すつもりはない。とっとと帰れ。どうせ何も出てこない」

それは一体どういう意味だと、行平の頭に嫌な疑念が浮かぶ。
けれど問い返す前に、青年は行平の肩を押しのけて行く。そして彼は、錫杖を抱えたままやりとりを遠目で見物していた神野の前で立ち止まった。
微笑を湛えたまま、神野は彼を微かに見上げた。神野の身長は平均値程度にはあるだろうから、おそらくこの青年の背が高いのだ。

「神……」

これ以上、余計なことを言ってこじれ指すな。制そうと発しかけた声は、突然の風に呑みこまれた。行平と同じくして何か神野に吐き掛けたらしい青年の言葉も、風に攫われ、行平の耳に届かなかった。
神野は変わらず、悠然と構えている。その態度にほっとしかけた瞬間だった。青年の手がゆっくりと神野の顔に伸びたのが分かった。けれど、それは触れきる前に、空を切った。神野が錫杖で薙ぎ払ったのだ。

「っ、おい……呪、神野!」

雪の上に尻もちをついた青年を助け起こそうと走り寄った行平を、神野は冷めた目で一瞥する。

「おまえ、なにしてんだ!」
「なにって、足払い。知らない? 錫杖伝って言うのがあってね、これ便利なんだよ」
「誰がそんなこと聞いたんだ! あの、大丈夫ですか。脚とかくじいたりしてませんか」

「へぇ、心配するところはそっちなんだ」と薄く笑った神野を「当たり前だ!」と怒鳴りつけて、座り込んだままの青年に行平は手を伸ばす。
その手を忌々しそうに払って、青年は立ち上がった。

「後悔するぞ」

低い、暗い声だった。

「――なにが?」
「この村で、俺に逆らったことを、だ」

その台詞に籠った澱みに、行平の背筋を何か冷たいものが伝っていく。その感覚を消し去ったのは、神野の失笑だった。

「ちょっと聞いた? 滝川サン。俺、こんな古臭い捨て台詞、漫画でしか知らなかったぁ。ホントに言う人、いたんだね」
「こら、神……!」
「いやだって、これ、ギャグにしてあげない方がひどいって」

けたけた笑う神野を荒んだ瞳で睨み据えて、男は獣道へと消えて行った。そしてその間際、
「ここは玉響だ」と、確かに言った。


「……おい」

青年の背が完全に木々の中に消えて行ったのを視認して、行平は軽く神野の後ろ頭を叩いた。

「なに、このDV男」

わざとらしく叩かれた個所を摩りながら、目を眇めた神野に、「その表現は止めろ」ともう一度小突きたくなったが、行平はその衝動を堪えて、神野を見やる。

「大丈夫か」
「なにが」
「いや、だっておまえ、」

そこまで言って行平は言葉を止めた。「ものすごい不機嫌そうな顔してるぞ」と指摘したところで、この男が素直にそれを認めるわけがない。
神野は小さく肩をすくめた。

「俺、あんたのそう言う無駄に敏いとこ、あんまり好きじゃないなぁ」
「……放っとけ」

問い質すのを諦めて、こめかみを押さえた行平に、神野はけろりと笑った。これ以上踏み込むな、と、この男は簡単に線引きをして見せる。

「それよりさ、あんたも仕事したら? って言うか、今更だけど、所長様はここに何しに来たの?」
「確かめに、だよ」
「あぁ、消えた場所を? まぁここで本当に消えたのかどうかも怪しいけどねぇ」
「どういう意味だ?」
「視たのはあんたで、話したのはあの母親一人って意味だよ」

「神野」と名前を呼び掛けて、止めた。どうもひどく拗ねている気が、する。

「でも良かった。俺、実はさぁ、あんたがここでいきなりお社に向かって拝み倒しだしたり、変な祈祷し出したりしたらどうしようって思ってたんだよね」

笑い堪えれそうにないし、と続けた神野に、渋い視線を向けて行平は首を振った。

「しねぇよ。そもそも俺は祈祷とかできねぇよ」
「そう言う問題なんだ。できたら、するの?」

絡まれているなぁとは思ったが、諦めて行平は頭を掻いた。そして嘆息する。
自分にできるのは、いつだって地道な調査だけだ。だから調べる。過去視をできると言うその特異を最大限に活かして。
ここに来たのは、現場を自分の目で直接見たかったこともあるが、半年近く前のことではあるけれど、少年の気配が残っていないか期待してのことだった。

――けれど。

「ここは、不思議な場所だな」

返答を期待していたわけでもなく呟いて、行平はどこか薄暗い空を見た。

「まるで何もないみたいだ」

これが神野の言う「信仰の深い」「神気の強い」地なのだろうか。
読み取ろうと意識しても、人の気配がまるきり感じられないのは、サッカーボールから肝心の場面が切り取られていたのと似ている。
以前、神隠しだと断じた一件があった場所は、ここよりももっと深い森で。感じ取られない場所もあったが、読み取れる場所もあった。その時感じたあやふやさとはまた異なる空気だと思った。

「……『玉響』ね」

神野が口遊ぶように呟いて、足元の雪を蹴った。きらきらと白い結晶が宙に浮かぶ。

「どうもあんまり良い場所だとは、俺は思えないなぁ」

その声に呼応するかのように、神野が手にしていた錫杖が震えて音を出した。
しゃなり、しゃなり、と音が強く鳴り響く。

「これ、おまえ、揺らしてるのか」

行平の問いかけに神野は静かに目を伏せた。

「さぁ」
「さぁって、おまえ」
「『玉響』さまとやらが、怒ってるのかもしれないね」

じゃらん、と一層激しく錫杖が鳴った。行平は思わず、お社を凝視した。蜃気楼ではないと思う。けれど確かにお社は揺らいで映った。
錫杖は、何かと共鳴するかのように、しばらく鳴り続けていた。

お付き合いくださりありがとうございました!