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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《7》


【7】


隼人少年は、この地で忽然と居なくなってしまったと言う。
あの後、念入りに行平もお社の周辺を含め危険な場所はないか探してみた。しかし、佐和子の言う通り、10歳の少年が声も上げずに消えてしまいそうな箇所は見当たらなかった。

否応なしに『神隠し』の文字が、行平の脳裏にちらついていく。
思い込みを振り切るようにして、行平は集落の家を一軒一軒巡って、失踪時の話やお社についての話を聞きに回った。


――けれど。

「なんて言うか、マジで田舎だね。すごい集落意識と言うか身内知識が強いと言うか」

息がつまりそうだったよ、と零した神野に、内心同意しつつも行平は曖昧に首を振った。
どの家も一貫して門前払いの扱いに近かった。聞き込みをしていると、警察手帳を所持していたころの利便性を思い知る。

「でもそれにしたってひどすぎだよね。絶対、あのストーカー、なんか根回ししてるよ。だって粘着質そうだったし」

粘着質だからストーカーなんじゃないだろうかと思ってしまってから、違うだろと行平は自分で自分に突っ込んだ。毒されている。

「いや、ストーカーじゃねぇだろ」
「そうかなぁ、行く先々に怪しい男が現れるとか、もろそれだと思うけどなぁ」
「被対象者がもっとか弱い女性だったらそうかもな」

投げやりに返答して、行平は足元の先を懐中電灯で照らした。時刻は5時を少し回ったくらいだが、外灯の存在しない山道は暗い。
少年が行方不明になったのは10月だった。母親が迎えに行ったのが6時半ごろ。その時間帯なら、きっと今と同じくらいの暗さだろう。その日も、一日中すっきりとしない曇り空だったそうだ。
佐和子も、懐中電灯を持って山を登ったと話していた。

視界がはっきりしない上に、積雪で足場が悪いにもかかわらず、神野は朝と同じ足取りで何の迷いもなく獣道を進んでいく。
足元の草履が何とも寒そうで、行平は、思わず「靴貸してやろうか」と仏心を出してしまったのだが、「俺、痛覚鈍いんだ」と言う今一つ訳の分からない回答で終わらされてしまった。

「……暗いな」

いつも少年はこんな暗くなるまで遊んでいたのだろうか、とふと行平は思った。10歳の子ども一人でボール遊びをするには、向かない環境だ。
いつもよりたまたま遅かった。だから、佐和子もたまたま迎えに行った。

そしてその日、たまたま少年が、消えた?

獣道を抜けて、社のある少し開けた地になっても、薄暗さは変わらなかった。
行平は立ち止まって見上げた木々は、ざわざわと風で妖しくざわめいている。

「神野……って、なにしてんだ、おまえ」

隣に立っていたはずの神野の姿が消えたと思ったら、いつのまにやら祠の前にしゃがみ込んでいた。
暗いだろうと懐中電灯の光を当てながら近づくと、嫌そうに眉をしかめられた。

「眩しいんだけど。まさにありがた迷惑」
「……おまえは心底かわいくねぇな」
「あんたにかわいいなんて思われたら、怖くて隣で寝れなくなるよ」

どういう意味だと怒鳴りかけたのを行平は寸で呑み込んだ。神野は祠の開き戸にゆっくりと手をかけた。

「開けるのか」
「うん。さて、ここの御神体はなんだと思う?」
「知るかよ……木か石か、それとも」

懐中電灯の光に照らされながら、鈍い音を立てて開き戸が開く。現れた暗闇に、行平は目を凝らした。

「空?」
「うん、空っぽみたいだね」

内部の四隅まで照らし出してみたが、何も安置されていなかった。御神体の役割をこなすものはなかったのか、それともどこか別の場所に安置されているのか。
神野を押し退けるようにして、祠の天井部分も覗き込んでみたが、そこにも何も存在していなかった。当たり前の様に、感じとろうと触れてみた指先からも一切何も伝わってこない。
しげしげとその様子を眺めていた神野が小さく頷いた。

「どうした?」
「ん、あぁ、10歳の子どもなら身を丸めたら隠れられるなって思っただけだよ」

その台詞に行平は神野の横顔を凝視していた。神野が真顔のまま、呟いた。

「息を殺してここに隠れる。母親は気づかない可能性が高いよね」
「なんでそんなこと、する必要があるんだよ」
「さぁ、当人じゃないから俺は知らないけど。例えば――心配させて母親の気を引きたかっただとか、怒られた腹いせに困らせてやろうと思っただとか」
「可能性の話だ」

行平の胸に、言いようのないよどみが広がっていく。気付けば、切り捨てるように吐き捨てていた。
「そうだね」と気を悪くした風でもなく神野は相槌を打つ。「ついでに言えば神隠しだって可能性の一つだ」

「母親は子どもが隠れたことに気づかず、助けを求めて誰かを呼びに行ったとする。その間に抜け出した子どもがどこか遠くへ行く。あるいは、たまたま出会った誰かに攫われる」
「それはまたすごい確率の話だな」
「確率論で言えば、誘拐事件は神隠しよりよっぽど現代日本で起こりうる犯罪だと思うよ」

静かな声だった。苛立っている行平の心をよりざわめかせていく。
もしそれが真実だったとしたら――。
行平の脳裏に、暗い佐和子の瞳が過った。追い出すように頭を振って、けれど結局言葉を呑んだ。
なにかを言おうとしていたつもりだったのに、分からなくなる。

「神か天狗か、お目にかかったことないような生き物が犯人なのか、欲望にまみれた人間が犯人なのか」

前にも言ったかもしれないけど、と神野が零しながら立ち上がった。もう日は落ち切っていて真っ暗だった。

「俺は、人間の持つややこしい感情の方が、よっぽど厄介で恐ろしいと思うけどね」


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