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花の名前 ―滝川万探偵事務所始末記 序―《8》


【8】


たられば、が行平は嫌いだ。

正確に言うと、一度許してしまうと多用してしまうだろう自分の弱さを分かっていて、だから嫌いだと言い聞かせているだけかもしれないが。
何度も行平は愛する者を失った人の声を聴いてきた。
あのとき、こうしていれば。私が目を離していなければ。手を離さないでいたのなら。

――俺が、もっとあのとき良く見ていれば。


そんなとりとめもない後悔をしてしまうのは意味がないと分かっているのだけれど。



何の収穫もなく戻ってきた行平たちを、佐和子は落胆の色をどうにか押し込んだ顔でねぎらった。
その今にも消えてしまうそうな雰囲気に、行平は中途半端な慰めの言葉を呑みこんで、何の収穫萌えられなかった事実と、あと数日この近辺を捜索するという意思だけを伝えた。
「ありがとうございます」と力なく微笑んで、夕食の準備をしてきます、と佐和子は奥に引っ込んでいく。
その後ろ姿を痛ましく見送っていた行平と対照的に、早々に座布団の上で足を崩していた神野が冷ややかな目でぼそりと毒を吐く。

「なんだかねぇ」
「……なにがだよ」
「分かってるくせに。不自然だって思わないの、あんた」
「だから、何がだよ」

憮然と問い返した行平に、神野は小ばかにしたような薄い笑みを浮かべた。

「こんな信仰の生きてる閉鎖的で辺鄙な村で、神隠しの伝承を知らない方が不自然だ」
「知ってたとして、信じてたかどうかは別問題だろ」
「でも、あの人はずっと神隠しだって言ってたでしょ」
「――そら、自分の息子が急に消えて何の手がかりもなかったら、今まで考えてなかった可能性にも縋りたくなるだろ」
「縋る、ねぇ。まるで神隠しにあっただけなら、生きて無事に帰ってくるみたいな言い方だね」

わざとらしく小首を傾げて、神野は嫣然とした笑みを浮かべて見せる。その毒に呑まれないように行平は強く断罪する。

「とにかく。あの人は被害者だ。辛いだろうときに、余計な横槍を入れてやるな、頼むから」

切実に付け加えた一言に、神野は面白くなさそうに目を細めて「ふぅん」と口中で不満を転がしている。

「藁にでも縋りたくて専門家のあんたを呼んだんだったら、普通、神隠しの伝承の詳細くらい最初に教えてくれたと思うけどね」
「神……」

反論しかけた行平の声が、廊下の軋む音に気づいて止まる。

「あの、お食事の用意できましたけれど。――どうかされました?」

二人の間に流れている空気にだろう、戸惑った声を上げた佐和子に、行平は取り成すように笑みを浮かべて立ち上がる。

「すいません。ありがとうございます。なにかすることがあればお手伝いしますよ」
「もうできましたので、ありがとうございます。私もご一緒させていただきますけど、よろしかったですか?」
「それはもちろん。こちらこそ何から何までして頂いてすいません」
「そんな。来てくださっているのですから当たり前じゃないですか。神野さんもお疲れでしょう?」

そう神野に水を向けた佐和子の横顔を見つめながら、内心行平は、「頼むから余計なことは言うなよ」と言うそれでいっぱいだった。
そんな心境を間違いなく知っているだろうに神野は、「そうですね」とへらりとした相槌を打って、佐和子に微笑みかけた。

「こんなおっさんと二人で食べても楽しくもなんともないし、大歓迎。それに俺、いろいろ聞きたいことあるし、ね」

にこりと微笑むそれは、間違いなく猛毒だ。行平は佐和子に気取られないように気を配りながら神野を睨みつける。
神野は、なぜ睨まれるのか分からない、とばかりに、眉を上げて見せただけだった。


「そういえば、昨日、トンネルで若い男の人に出会いましたよ。あまり私と年齢の変わらないような」

食卓を三人で囲みながら、今日の遭遇は伏せて告げると、「あぁ」と佐和子は頷いた。それだけの情報ですぐに分かるのが田舎の距離間だ。

「桐原さんのところの竜一さんです。この辺り一帯の――昔で言うところの地主さんだったんでしょうね、我が家にくるまでに大きなお家があったでしょう。そこのご嫡男で」
「なるほど、道理で時代錯誤にえらそうだったわけだ」
「こら、神野」
「へぇへぇ、すいませんでした。所長様」

くだらない掛け合いに佐和子がほんの少し相好を崩した。おそらく初めて目にした、この女性の自然な笑みだ。

「あ、すいません。笑ったりして」
「あ……いえ。笑っていただけたら、連れてきた甲斐もあるってもんです」

こいつを連れてこなかったなら、こんな疲れた道中にならなかっただろうと思っての行平の本音だったが、冗談だと捉えたらしい佐和子が、もう一度微笑んだ。

「優しい方で、ここに戻ってきて、どこか浮いていた私や隼人を気にかけてくださって。今も――、私が気落ちしていないかよく様子を見に来て下さるんですよ」

思わず行平は神野と顔を見合わせた。

「あの、なにか?」

戸惑いがちに首を傾げた佐和子に、行平は笑顔を取り繕う。また神野が余計なことを言うのではないかと危惧したが、神野は呑気に大皿に箸を伸ばしていた。

「いえ。あの……平岡さんはこちらでお生まれなんですよね。玉響さまのお社には、平岡さんも小さいころ、よく遊びに行かれてたんですか」
「えぇ……ですが、私はあまりお社の方には行きませんでした。あのころは、年の近い遊び友達も何人かいて、その子たちの家に遊びに行く方が多かったんです。それに……」

そこで佐和子は眉をひそめた。

「私たちの祖父母の世代は特に、なんですけれど。あの場所は神聖な場所だから、むやみやたらに立ち入ってはいけないとそう教えられていました。――けれど特に男の子は、腕試しのような感覚で、お社に出かけていたようですが」
「神聖な場所、ですか」
「この集落の守り神である玉響さまが祭られているのが、そのお社なんだそうです。私も詳しくは知らないのですが、そう確か、桐原さんのお宅が、きれいにお社を清められていらっしゃいました」

「なるほど。先祖代々神主の様な役割を担ってらっしゃったわけですね」
「おそらく、そうかと。――私、隼人に何回かあの場所には遊びに行っては駄目だ、と。そう言っていたんです。その、祖父母が言っていたような迷信を信じていたわけではないのですけれど、日が暮れると危ないですし……、でもあの子は『分かった分かった』ってそれだけで。秘密基地のつもりだったのだと思うんです。でも、もっと強く止めていれば、あんなことにならなかったんじゃないかって……」
「ねぇ、結局のところ、その神隠しってなんなの。あなた、ここの生まれなんだからどんな伝承なのかくらい知ってるよね」
「神、」

かたんと神野が湯呑を置いた音がいやに響いた。

「神域に入った子どもを神様が攫う。あるいは女性を。その神様とやらが天狗なのか狐のか、俺は知らないけど。少なくとも、あんたは信じてるんだよね」

躊躇のない言い方で、神野は佐和子をその目に映した。「神野」と再度、制止しようとした行平を、流し目ひとつで黙らせて、神野は再び佐和子を見据える。

「玉響さまにどんなタブーがあるのか、それをこの村の人間は守っているのか、あんたの息子が守らなかったのか、それも俺は知らないけどね。とにかく、あんたの息子はいなくなった。そして警察じゃ無理だって、だから、霊能者に縋った?」

そこでふっと神野はどこか上空に視線を持ち上げて、「あぁ、違うか」と得心した声を出した。
佐和子は神野を凝視したまま、固まってしまっている。

「霊能者を差し出したら玉響さまが代わりに攫った子供を返してくれるって言う解決策があったりした?」
「あ……、私、私は……」

ぎこちなく手で顔を覆った佐和子に、興味を失ったのか神野は、「まぁこの人、いわゆる霊能者じゃないと思うけどね」と茶化すように笑ったけれど。
行平は呆然と神野を見ていた。その視線を受け流して、神野は「あとは所長とお二人で」と嫣然とした笑みを浮かべながら、するりと猫のように部屋から出て行ってしまう。

取り残された形になった行平は、蒼白になった佐和子を前にして、自分を落ち着かせるようにして深く息を吐いた。


――あいつは、いったい何をどこまで知っているんだ。

それが昨夜持ったのとまったく同じ疑問であることに、すぐに思い至ったけれど、答えは行平には出せそうになかった。
小刻みに体を震わせている佐和子を気の毒に思いながらも見守っていると、しばらくしてか細い声が彼女から発せられた。

「騙すつもりは、なかったんです」
「それは……」
「だってあの子、本当に忽然と居なくなってしまったんです……! お社にボールだけを残して。まだ夕方だったのに、誰も見てないんです、あの子も、不審な人物も、なにも! 場所が場所だったから、神隠しだとみんな言いだして、私も、あそこは……そう、聞いていたから……」

やるせなく佐和子は頭を振った。手の甲が白くなるほど強く、彼女は掌を握りしめていた。

「桐原さんに聞いても、力にはなれないと言われただけで、八方ふさがりで。――そんな折、昔、祖父に訊いた話を思い出したんです。玉響さまに攫われた子どもを返してもらう方法を」

その子どもより、「欲しい」と玉響さまが思う人物を引き渡したら、戻ってくる。
玉響さまが欲するのは、力の強い人間――祈祷師や霊媒師、神官だと。

「でも俺は、そのいずれでもありませんよ、きっと。――さきほど、神野も言っていましたが」

敢えて軽い口調で返した行平に、「分かってるんです」と佐和子は言葉を絞り出した。

「藁にも縋る思いで、私は何人も霊能力者の方をお呼びしました。けれど、どの方も、お社に入られても何も感じられず、私の元に戻ってこられました。その方が消えて、隼人が戻ってくることはなかった。
だから……、神隠しじゃないのかもしれないと思って、でもそうじゃなかったら、あの山のどこかで隼人は死んでしまっているのかもしれないと、私が目を離したせいだと……恐ろしくて、不安でたまらなくて」

最後にしようと、父の知り合いでもあった小早川先生を頼りました。そこであなたを紹介していただいて、超能力を使われるとお聞きして、今までの方は駄目だったけれど、あなただったらもしかして、と。

「私は、今日、あなたが帰ってこないことを心のどこかで強く、望んでいました」

申し訳ありません、と深く俯いてしまった佐和子に、不思議なほど行平の中で怒りの感情は湧いてこなかった。

「あなたにとっては残念なことかもしれませんが、現に俺は今ここに居ます。謝らないでください」
「ですが……」
「明日、もう一度、登ってみます」

それで何か手がかりを見つけられると確信できていたわけではないのだけれど。行平にはそう告げることしかできなかった。佐和子はさらに深く、頭を下げた。


大切な人の行方が知れない状況は、たまらなく苦しい。希望と絶望とが常に交錯し続けている。
その感覚を、行平は嫌と言うほど知っていた。

だから、佐和子のことを責めることなど、できるわけがなかった。



「呪殺屋」

不機嫌を隠さない低い声音で呼んで、行平は客間の障子を開けた。
布団の上で膝を崩していた神野がゆったりと顔を上げる。その顔に、いつもの人を食ったような笑みが浮かび上がったのを認めた瞬間、行平は神野に詰め寄って、襟首をつかみあげていた。

「おまえには、あの人の痛みが分からないのか!」

口論にすらならないような口げんかはこの三ヶ月の間で、何度もした。けれど、こんな風にして怒鳴りつけたのは、初めてだった。
神野は、いっさい表情を変えないまま、襟首をつかんでいた行平の手を取った。

「あんたにはあのおばさんの痛みが分かるって? なにそれ、すっげぇ傲慢だな」
「……少なくとも、おまえよりは分かってるつもりだよ。おまえ、なにをあんな」

言い募ろうとした行平を「へぇ」と一笑して、手を振り払う。細身の見かけからは想像できない握力だった。

「そりゃご立派。でもあんたは俺の痛みはきっと理解しないだろうね」

せせら笑った神野に、行平はない交ぜになった感情を押し殺した声を出す。

「話をすり替えるな」
「じゃあ戻そうか? あんたのそれは、ただの投影だ。俺は事実を言っただけで、結果、捜査の役に立っただろ? あんたがそうやって憤るのは、あのおばさんの体験に、自分の過去を重ねてるからだ」
「……」
「あんたの欺瞞につきあうつもりも、あんたの感傷で怒鳴られてやるつもりも、俺はないよ」

言い切られて、行平はたまらず言葉を飲んだ。
温度のない目で、神野は行平をじっと見ていた。

「おまえは」喉から押し出されたのは、結局そんな台詞だった。なにが言いたいのかも分からないまま、それでも行平は言葉を継いだ。

「なにを知ってるんだ」

俺は強いからね、と神野は笑う。
噂の「呪殺屋」であろうことも、行平は知っている。神野も否定しない。
けれど、行平は、神野がそういった特殊な力を行使しているところを見たことは一度もなかった。

だから、神野が正確に何者なのか、行平は知らない。

神野は小さく唇をつり上げた。

「さぁね。悪いけど、今、答えてあげる気分じゃないな。――あぁ、もうムカつくなぁ」
「おい、神野!」
「うん、ムカつく。マジでムカつく。あぁ、そうだ。俺、今から風呂入ってとっとと寝るけど、あんたここからこっち、俺の陣地に入ってこないでね」

神野が並んで敷いてあった布団のうちの一組をずいっと足で窓際に押しやった。そして畳の上で線を引くようにつま先を動かす。

「どこの小学生だ、おまえは!」
「分かった? 入ってきたら絶交だからね、ぜっこー。じゃあ俺、風呂入ってくるけど、覗きに来ないでね?」
「誰が覗くか! って、おまえ、俺の話……!」
「はいはい、また今度ね。っていうか、あんたこそ分かった? なにがあっても、陣地越えないでよ」

びしっとまたしても小学生のように人差し指を行平に突きつけて宣言すると、神野はぱたんと障子を閉めて廊下に出ていってしまった。

「……やられた」
行平は、やり場のない怒りをため込んだまま、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
また結局なにも解決できないまま、上手く流されてしまっている。
どうにもならない溜息を押し出して、行平は神野が押しやった布団に視線を落とす。
神野はいったい何者なのか。
そして、行平はまだ、小早川に神野という呪殺屋の存在を報告できないままでいる自分に、再度頭を抱えたのだった。

お付き合いくださりありがとうございました!