「――って好きってなんだ、早坂に対して気色悪い!」
だんっと握りつぶさんばかりの勢いで缶ビールをテーブルに叩きつけた俺の目の前には誰もいない。
当たり前だ。いくらテンションあがって叫んでみようが、自分のアパートで一人で自棄酒してるだけなんだから。
だいたいそもそもなんだってんだ。俺が早坂を好きだってか。好きだったらなんだ。それがどうしたよ。
「おい、恭弥!」
なんだこれ。幻聴か。俺は酔っぱらった挙句にあのアホの声を聴かなきゃいけないほど好きだってのか。理不尽だ。
「恭弥ってば、開けろっての! いつまでも1人だけで拗ねないの、このガキ!」
「あーもうてめぇは幻でまでうっせぇな、一人で呑もうが何しようが俺の勝手だ!」
何やってんだろうと思いながら幻聴に叫び返す。ついでに残ってた缶ビールを一気に煽って、どんどんと叩く音まで聞こえ始めた玄関のドアに向かってそれを投げつけた。
有りえない、どんな願望だ俺。
「誰が幻だ誰が! あーけーろっ。開けなかったらずっと騒ぐぞここで、いいんだな? 恭弥、お前ね、俺のこと好きなくせに」
「何言ってんだてめぇ!」
幻聴にしたって有り得な過ぎた。我に返った時には玄関に突進してドアを開けた後で。目前にはしてやった顔満載の早坂が、チンピラのように足を挟み込んできやがった。
何でここにこいつが本気でいるんだと呆然としてる間に、ぐぎぎとドアは開いてぱたんと閉められた。もちろん室内には俺だけじゃなく早坂がいるわけで。
げっと条件反射的に逃げを踏んで下がった足は、なんでだと思いたい確率で転がってた空き缶を踏んづけてすっころんだ。
「何やってんのおまえ」
……そんなのは俺が聞きたい。
あんまりと言えばあんまりだったに違いない。思いっきり怒り所をそがれたらしい早坂の呆れかえった声が頭上から落ちてきて、俺はどうにもならない溜息を吐いた。
「っていうかお前『変態お断り』とかあほな張り紙しないでよ。逆に変なの寄って来たらどうすんの。まぁ俺は変態じゃないから上がらしてもらいますけどね」
「そりゃあれだっての。お前除けだよ、変態防止」
全く効かなかったけど。
酔っぱらいのテンションで、なんかの講義で配られた裏紙に俺が書いて作成した張り紙なわけだが。ぴらぴらとこれ見よがしにそれを振りながら早坂は俺の横を勝手にすり抜けていく。その背を見送りながら、このまま外に逃亡してやろうかと一瞬考えた。
でもそんなことをしてもしょうがないってのはさすがに理解している。
「また酒飲んでんの、懲りないねーお前」
「ほっとけ」
よろっと立ち上がって、ちゃっかりベットに腰を下ろしてる早坂の足元で胡坐をかく。
あんだけ啖呵きっといて、なんでこんな感じなんだと思わんでもない。
「酒飲んで忘れて、また元通りって?」
「――だったら悪いか」
ささくれ立った気分のまま、ぶっきらぼうに返す。お前だってその方がいい癖にとは言わない。そんなの拗ねてるみたいで気持ち悪い。
あぁもうやってられるか。そんなあれでもう一本と机に転がる発泡酒に伸ばそうとした手を、上からがっつり掴まれた。
「離せ」
「やだよ。恭弥俺の話なんて絶対聞かないし、でも俺、このままで無かった振りに今度はしないし、したくない」
「なんでそれが今なわけ」
俺だって、嫌だ。はっきりとした言葉になって落ちてくるのはしんどい。現状維持の何が駄目なんだ。
早坂に掴まれた腕の先から、熱が伝わったとしても、それは酒で身体が火照っているからと、今はそれが理由にならないかなと思う。
こいつの前でだけはカッコ悪いとこを見せたくなくてしょうがなくて、それこそ馬鹿な意地だよなと自覚はしている。
ついでにその思考の片隅で、よく早坂に言われてた言葉が浮かんで消えた。いわく、俺はプライドで身を滅ぼすあほなタイプらしい。
「恭弥の意地っ張りなとこ、別に嫌いじゃないけどイラッとは来るね、ムカッとくる」
「てめぇケンカ売ってんのか」
「喧嘩したいのは恭弥でしょうよ。でもさぁ喧嘩にして誤魔化すの、いい加減やめようよ」
避けたかった視線はいつの間にか、固定されて動かなかった。
あぁもう嫌だ嫌だ。動けないなんて思うのは、早坂に顔を触られてるからじゃない。早坂がどうしようもないくらい真剣だと、分かってしまっているからだ。
「ねぇ、恭弥」
認めたくないのに、身体が震えた。なんでそんな声で呼ぶんだ。そんなの女を落とす時に使えよ、アホだろお前。そんな、甘い声で。切ない様な声で、なんで俺を呼ぶんだ。
「恭弥、お前、俺のこと好きなんじゃないの」
「何だよそれ……」
「誤魔化さないで、ちゃんと好きって言って。ずっと好きだったって、そう言って。そうじゃないんなら、俺は本当に終わりにする」
ふざけんな、冗談じゃねぇ、何言ってんだ。
そう言い放つつもりだったはずの言葉は、早坂の眼を見た途端に馬鹿みたいに喉の奥で凍りついて消えていった。
早坂は、本気だ。
それくらい分かる。でもじゃあ終わりって、何が終わりなんだ。
今の俺たちのわけの分からないこの状況を?
それとも、ずっと近くにあり続けた、俺たちの関係が?
そんなの………
「何ふざけたこと、言ってんだよ」
嫌だ。そう願いながらも、ためらいの後、俺の口から飛び出したのは結局そんな台詞だった。早坂の眼が見れなくて、頬に触れる早坂の手を叩き落す。
しょうもないプライドで身を滅ぼすってあれだよな。結局俺は、早坂より自分を取ったんだ。
それでもどこかで期待していたのかもしれないけど。早坂が引き留めてくれるんじゃないかって。それはこの1ヶ月の早坂の優しさを過信していたに違いない。
そんなの――嘘だったって、早坂にとってはただの冗談だったんだって、思い知ったはずなのに。
なのに俺はまだ、それこそが嘘だったんじゃないかと、そうであってくれと願っているのか。
お付き合いくださりありがとうございました!