この世の中、男がいれば女がいる。
異性間で付き合って、なんやかんやして、結婚して、子ども産んでと言う流れは、いたって普通だ。とてもノーマル。
いや、別に、ホモにもレズにも、偏見ってないつもりだけど。と言うか、たぶん、現状、俺、ホモだし。
どう考えたところで答えの出なさそうな問いに頭をひねりながら、いやでもな、と真白はぼそりと呟いてみた。
「意味が分からない」
なにがだ、との突込みは残念ながら返ってこなかった。
いつも甲斐甲斐しいくらいに自分の面倒を看てくれている20年来のお隣さん、最近、恋人は、本日は飲み会に出かけていてお留守だった。
大学に入ってあっという間に一年が過ぎた。新歓コンパシーズン真っ最中の今、慎吾はあっちにふらふらこっちにふらふら、チャラい大学生を体現し続けている。
飲むのが好きなのも華やかな場所が好きなのも事実なのだろうけども。
「あのアホ、断んの下手だからな……」
つまりは結局、そう言うことなのだ。真白の世話を焼くのもそうだが、慎吾はなんだかんだと言って、お人好しだ。
それが面白くないだなんて、死んでも言わないけども。
【隣の酔っ払い】
以前、慎吾にも「痛がりの怖がり」と評されたことがあるが、真白は痛いのは嫌いだ。
だがしかし。好きな奴がいたらそれこそマゾと言うやつなんじゃないだろうか。
「ねー、しろー。しろさーん、しろー」
「……重いんだけど」
べったりと。それはもうべったりと背後からのしかかってくるアホを、邪険に押し返しながらうんざりと真白は呟いた。
「しろが冷たい。ねぇ、しろさん、ちょっと冷たいんですけど」
「冷たくねぇよ、そんでおまえは酒臭ぇよ」
「そんなことないってー。俺、たいして飲んでないもん」
なにがおかしいのか大変楽しそうに笑いながら、慎吾がさらにぎゅーっと抱き込んできた。酒臭い。
そして真白はどうでもいいことを実感として学習した。酔っ払いほど、酔ってる自覚がないらしい。
と言うかなんだ、冷たくねぇだろ。
文句を言ったところでどうにもならなさそうだから、もういいけども。と思いつつも真白は、軽く睨みつけた。睨まれた本人はと言えば、幸せそうな顔で笑っていたので、あまり意味はなさそうだったが。
「おい」
「んー、なにー?」
「今、何時だと思ってんだ、おまえ」
「ええっと、そうだねー、確か終電にギリで乗ったでしょー。今、何時かなぁ、ねぇ、しろ何時?」
「1時5分だ、あほ! 酔っ払い!」
寝てたところをたたき起こされて、くっつかれてる俺の身にもなれ、と喚けるものなら喚きたい。
だと言うに、慎吾は「あぁそっかぁ」と気の抜けた声を上げただけだった。
「道理でそりゃ、寝てるよねぇ。ごめんね、起こして」
「分かったら戻れ、俺は寝る」
「冷たい。しろが冷たい……! いいの、そんなひどいことばっか言ってたら、俺泣くよ!?」
「どんな脅しだ、それは」
これでもかとくっついてきている男を一瞥すると、慎吾がむぅと唇を尖らせてきた。おぉなんか久しぶりにこの手の顔見たな、と地味に懐かしくなっていると、
「だって」
と、たらし仕様の甘えた声が耳元に落ちてきた。
「真白に会いたかったんだもん。あー、俺、ここが一番落ち着く。すっごい気楽」
「……そうかよ」
あぁもうだから嫌なんだ。慎吾は昔からそりゃもう、どこまでも要領が良い。顔と愛想だけで人生歩んできてるんじゃないかと思ったりする程度には、要領が良い。
「あ、あと、すっごい幸せ」
でも、これだけだらけたところを見せるのも、そんな風に囁くのも、おそらく今は自分に対してだけで。小さく嘆息して、頬にかかってきてこそばゆかった茶髪に触れる。
「おかえり」
どこまでも柔らかい表情で慎吾が微笑う。なんだかんだと言っても、真白はこの顔が好きだ。
「うん。ただいま」
どこかの酔っ払いの所為で、なんだか眠気が吹っ飛んでしまった。
まぁでもいいか、と、力を抜いてもたれ掛かると、慎悟が、「ねぇ」とまた甘えた声を出してきた。
こいつ、酔うと甘えたがるタイプか。ちょっと面倒臭い。
「……だからなんだ」
「んー、なにって言うか、ねー、しろ」
「だからなに」
「ちゅーしよ」
うっかり吹きかけて、真白は咽た。
よしよしと背中をさすってくる手は優しいが、言ってることはアホ極まりない。
「だいじょーぶ? でもさぁ、そこで吹くのはさすがにどうかと思うんですけど。ねぇ、しろさん。しろさんにとって俺はなんですか」
なんだってか。固まった真白に、
「はい、却下ー。却下です、却下。却下、却下」
「そんだけ何回も言わなくてもいいっつの……」
「じゃあ言ってよ、はい。なんですか?」
「なにって、あれだろ」
「あれってなにー?」
ここで「慎吾」とか言って終わらすのはさすがにあれかと思ってしまったのは、ひっそり見上げた先で、なんだか期待に満ちた顔を見てしまったからだ。
「……恋、人?」
「なんで疑問系?」
「恋人」
「はい、正解」
それはもうにっこりと。満足気に笑った慎吾が、むちゅーっと頬の辺りにキスしてきた。
「……おい」
「なんで? いや?」
「いやじゃないけど」
なんというか、収まりが悪いというか。20年間、幼馴染みだったのが急にいちゃこらうふふに移れるかというと、照れが勝つというか。
いや、嫌なわけじゃないんだけど。
言葉に詰まって曖昧に頭を振ってみたところ、「嫌なわけじゃないんだよね?」とやたらと必死に食いつかれてしまった。
……絶対こいつ明日になったら、自分の失態思い出して、頭抱えんぞ。
それでいてそのくせ、平然と取り繕ろうとするのが目に浮かぶ。
この幼馴染みが昔からかっこつけなのは、よくよく知っている。
「だから嫌じゃねぇって、しつこい」
「じゃあ、キスは嫌じゃないんだったら、なんでエッチは嫌なの?」
今度こそ盛大に吹いた。
「だっ、……って、嫌っつうか……」
「嫌って言うか?」
拗ねた声に、面倒臭ぇなぁと思いながらも、真白は「うん」と結論付けた。
「尻にわざわざ突っ込む意味が分からない」
あんまりと言えばあんまりだったかもしれない、とうっかり後悔してしまったのは、慎吾を何とも言えない顔で固まらせてしまったからだ。が、あっという間に酔っぱらいは復活した。
「なんで? なんで、いいじゃん! 俺、巧いよ! 痛くないよ!」
「いや、どう考えても痛そうって言うか、出すところであっていれるところじゃないだろ、そこは」
「出来るよ、慣らしたら女の子の処女喪失より痛くないって、なんか誰か言ってたもん!」
「いや痛いって、絶対痛いって。キスとかは別にいいけど、なんか」
なんか、うん。
真白の感想を一言で表すとしたら、間違いなくそれしかない。
そもそもたぶん、自分はものすごく淡白なのだ。この年の男としてどうかと思わなくもないが、女の子とセックスしてぇなぁ、童貞捨てたいなぁとかもあまり思ったことがない。
むしろ女の子に気ぃ遣いながらとか俺絶対無理だわと内心考えていたりした。
……と言うか、こいつ。
真白はちらりと「本当痛くないから! じゃあそれかちゃんと日数かけて慣らしてこう、指一本から始めよう!」と訳の分からない勧誘みたいなことを熱弁している20年来の幼馴染みを見た。
なんだかんだ言って、やりたいんだよな。当たり前なのかもだけど。
しろのペースでいいよ、と日ごろ言ってくれているのも本当なのだろうけれども。それは慎吾の欲望を押し隠したうえでの思いやりだ。
「なぁ」
力説をぶった切って、真白は慎吾を見上げた。
「なんで、したいの?」
慎吾は、一瞬、虚を突かれた顔をした。
「そんなの決まってんじゃん」
何を当たり前のことを、みたいな態度で慎吾は続ける。
「好きだから、全部全部、俺が知ってたいの。俺だけの真白でいてほしいの」
そんなもん、むしろおまえの知らない俺とかいないだろ、と。ごくごく自然に思ってしまったのだけれど。
「……近々、な」
気づいたら、そんな返事が唇から零れ落ちていた。その内容を反芻して、「やべ」と取り消そうとしたのも束の間、
「え、マジで? しろ大好き! マジで好き!」
大変高いテンションで、ぎゅうっと抱きしめられてしまった。
さすがに、「やっぱ、今の無し」とは言えそうにないなぁと、なんともひどいことを思いながらも、真白はまぁいいかと思うことにした。
だって、慎吾だ。
その一言ですべてを納得してしまうのもいかがなものかと思わなくもないけれど、それもきっと今更な話なのだった。
……でも間違いなく、朝になったらこいつ、「あれは忘れていいからね」とか言いだすんだろうなぁ。
さて、そのときどう反応してやろうか。近い未来を想像して、真白の顔に小さな笑みが浮かんだ。
お付き合いくださりありがとうございました!