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お隣さんの居た堪れない日曜日

あ、やっべ。飲み過ぎた。頭痛い。
地味に痛むこめかみを布団の中で押さえつつも、基本、早起きを信条としている(主に駄目すぎる幼馴染み、もとい恋人の健康管理のためだけども)慎吾の体内時計は遅寝が許されるはずの日曜日であるにも関わらず、正確に目覚めを促してくる。
あぁでももうちょっと寝たいなぁ。なんかすっげいい匂いするし。

「………ん?」

ちょっと待てよ、と。ふっと我に返った瞬間、物の見事に眠気が吹っ飛んだ。

「え、え……? なにこれ、俺、もしかして」

やらかしたか、と。さーっと血の気が引いていく。ナニを。とは敢えて問い直したくはないけれども、ナニだ。
視界の隅でちらちら映る黒い頭がもぞっと動いて、甘えるように擦り寄ってきた。あ、可愛い。じゃない。じゃなくて!
盛大にセルフ突っ込みをかまして頭を振った結果、頭痛が激痛に進化した。

「え、って、なにこれ。なんの朝チュン……」

仮にも、仮にも、恋人同士の身であるのだから、酔いの勢いでやってしまいました、てへっみたいなのも許されるのかもしれないけども、だ。
いやでもそれは一般的な場合であって、と最早収拾のつかなくなった思考を投げ捨てて、慎吾は低く呻いた。

「あー………やっべ」

具体的に何をどうとはしてないっぽいけど、でも、あぁうん。
……なんか俺、ものすごい駄目な本音さらした気がしてきた。


【お隣さんの居た堪れない日曜日】


「………おはよ」

ぽやっとした声が聞えて、慎吾ははたと表情を取り繕った。
いや、そりゃヤリたいよ。だって俺、しろのこと好きだもん。

「なに、おまえ、すげぇ面白い顔してるけど。まだ酔ってんの」

いやでも、あれなんだって。好きだからヤりたいけど、好きだから我慢してんだって。

「や、酔ってない。酔ってないから。もう大丈夫」
「そうか?」
「うん、そう。大丈夫。あの、……しろさん」

取り繕ったはずの顔を変な顔と切り捨てされてしまったわけだが、慎吾はもう一度完璧なはずの笑顔を装備してみる。
だが何故か真白は、昔から他人なら100パーセント騙せるんじゃないかと自負しているこの仮面をいともたやすく見破って、「変な顔すんな」と眉をしかめる。だから無駄なのかもしれないけど、でもあれだ。これだって俺のプライドなんです、意地なんです。

……の、はずだったのに。

「ご機嫌いかが?」

二日酔いが抜けきらない思考回路が絞り出してきたのは、そんななんともなあれだった。

「……」

言った自分でもなんだそれと思ったけれども、言われた相手も同じ心境だったらしい。
どことなく寝ぼけ眼でぽやっとしてた真白の黒い瞳が、地味に不満そうに細まった。

「どれ?」
「どれ。どれって、えーと」

なんだろう。
と言うか、あれです。自分が何を言ったか定かじゃないから、探りを入れたかったわけですが。
へらりととりあえずとばかりに笑ってみた慎吾に、幼馴染みもとい恋人の眼が更に細くなる。
あ、やばい。と悟ったときには、完璧後の祭りだった。

「おまえって、据え膳喰わないのが紳士だって思ってるタイプ?」
「へ? え?」

滅多に据わらない真白さんの眼が、据わってらっしゃる。

「釣った魚に餌はやらない」
「いや、俺、たぶん、過剰摂取させるタイプかと」
「じゃあ俺は例外か」
「……あの、しろさん?」

一体どうした。
と言うか、俺、これ以上ないくらい愛情深いタイプだと思うんですけど。
ものすごく反論したい。むしろ真綿に包むかのごとく大切にしてるんじゃないかと自負してるんですけど。と、大変反論したかったが、いかんせん昨夜の記憶がないのが痛かった。

……俺、そんななんかあれなこと言いましたか。
あの真白を怒らせるような、そんなあれを。
むくりと起き上った真白に、肩を掴まれた。ものすごい真顔だ。

「しろ? ごめん、俺、なんか」

した? と弁解しかけた台詞が、予想外な展開に立ち消える。
無造作に押し付けられたかさついた唇は、キスと言うよりかは、ただ単に押し当てられたみたいだったけれど。
だが、キスだ。
あの、しろが。俺に。

「……」

フリーズした慎吾に、真白がふっと口元だけで微笑んだ。

「経験豊富だっつうんなら、その気にぐらいさせてみろっての。ばーか」

ふん、と無駄に男前に鼻を鳴らした恋人はと言えば、言いたいことだけ言って満足したのか、のそりとベッドから降りて、ふらふらと洗面所兼風呂場の方へと消えて行った。
その背中がすり硝子の奥に見えなくなるに至って、慎吾は撃沈した。字を読んでのごとく、正しく撃沈した。

「俺がどれだけ我慢してると思ってんの、あの子は……!」

しろだから、こんなになってんじゃん、と。声にならない叫び蹲った布団に吸収されて消えていく。
あ、駄目だこれ。立ち上がれる気がしない。……いろんな意味で。


****


そして15分ほど前に大変男らしく洗面所に消えて行った恋人の動きが一向にない。

「……」

すり硝子だから中にいるシルエットは見えているのだが、いっそ面白いくらい動きがない。
いつもなら、立ったまま寝てるんじゃないかと疑いにかかるところだが、さっきの今だとそうもいかない。

「まさか怒りに打ち震えて立ち尽くしてるとか、……いやないない」

一瞬浮かんだ仮説を「真白に限って有り得ない」とこれまた自身で否定してみたものの、慎吾は頭を抱えた状態から抜けさせないままだった。
なんだこれ。
感想としてはその一言に尽きる。なにがどうしてこうなった。
……と言っても、いつまでも頭を抱えてもいられないわけで。慎吾はおざなりに前髪を掻きやって、一つ溜息を吐き出した。

そして懲りずに笑顔を張り付けて、そろりとベッドから抜け出して、洗面所兼風呂場に向けて愛想の良い声をかけてみたのだが。

「しろー? 俺も使いたいんだけど、開けていい? って言うかまさか寝てないよ……ね、ってなに、なに? どうかした?」

瞬間、硝子越しの空間で、何かが盛大に雪崩れた音がした。何かと言うかまず間違いなく真白だが。

「ちょ、真白!?」

取っ手を引いてみたはいいが、内側に障害物があると折れ戸は開かない。内部で硝子戸を背にへばりついている幼馴染みが容易に想像でき過ぎて、慎吾は「あー」と思わず小さく唸った。

「あの、しろさん?」

返事はない。

「ねぇ、ちょっと。しろ?」

入っているのは嫌と言うほどわかっているが、ノックもしてみた。
だが返事がない。

「……しろ?」

我ながらどんだけ甘い声だと思わなくもなかったが、しょうがない。真白に甘いのは、惚れた弱みと言うよりかは、出会ったころから培われ続けたすりこみだ。
さてそろそろかな、と20年近く隣で過ごしている幼馴染みの勘、もとい愛の力で判断して、駄目押しにかかってみる。

「なにしてんのよ、しろは。洗面所占拠して」
「……べつに」

ようやく声が返ってきたと思ったら、拗ねている。疑いようもなく拗ねている。
怒っているわけではないことに安堵するとともに、あ、と思う。
どうせだったら見たかった。
基本的に感情が乱れない真白が拗ねてるんですよ、なんでだか知らないけども。そんなの見たいに決まってる。

「出ておいでって。立てこもってないで。ほら、ご飯にしよ? 早くしないとお昼になるけど」

まぁ、俺が寝てたからですが。
記憶が飛ぶくらい酒飲んで、(覚えてないけど)なにか真白に言った挙句、爆睡かましてたからですが。

「食う」
「ならそんな不本意そうな声出してないで、ほら」

自分のやらかしたであろうことは盛大に棚上げして、なんだこれ、と慎吾はひっそり首を傾げた。
あの真白が。何故か分からないが拗ねている。起きてからここに至るまでの流れを悶えそうになりながらも思い返してみた。――結果。

「あのさぁ、しろ? 違ってたら大変申し訳ないんだけどさぁ」
「なんだよ」
「もしかして、照れてる?」

思いついたのは、それだった。
と言うか、これが当たりだったら、悶え死ねるかもしれない。
応えの代わりに、ドダン、と派手な音が響いた。立ち上がろうとして転んだらしい。

「ごめんって、しろ。大丈夫? でもそんな照れなくても……」

俺、幸せだし。嬉しいし。へにょんと続けようと思ったそれは、勢いよく開かれたドアと、正しく照れ怒りと表現したくなる形相の恋人の登場で吹き飛んだ。

「っ、おまえは!」
「ん? 俺?」
「っつか! なんでおまえばっかり、けろっとしてんだ。理不尽だ」
「そう言われても」
「昨日の夜、自分が何言ったか思い出して悶えてろ」

呪詛のごとく吐き出された爆弾に、先ほどまでのゆとりが木端微塵に吹き飛んだ。

「ちょ、しろ!? 俺なに言った!? 実は大体言ったこと分かるけど、でもなに言った!?」

思わず両肩を掴んで揺さぶってしまったわけだが、爆撃犯はと言えばものの見事な「してやったり」顔だった。
いや、そう言う勝ち負けじゃないと思うと言うか思いたいんですけど。
これだけ醜態さらしといて何を今更と分かっちゃいても、長年染みついた習性は抜けきらない。よって慎吾は改めて笑顔を張り付けてみた。

「あー……、うん。いや、分かってる。分かってます、大丈夫」
「大丈夫な顔してねぇけど」

誰の所為だ。いや俺の所為だけど。

「いや、いやいや。大丈夫。と言うか俺のプライド的に大丈夫にしておいてあげて、そこ」

相変わらずの貼り付け笑顔の通用しなささに乾いた笑いを漏らしてみたが、真白は眉をしかめただけだった。

「俺、おまえのそれ好きじゃない」

知ってます。えぇ、知ってますとも。

「ちゃんと言えよって思うし、誤魔化すなって思う」
「……はい」
「だから」

真白の手がにょきっと伸びてきて、頭にぐしゃっと落ちてきた。撫でられたと言うよりかは掴まれたみたいだった。
きょとんと見下げた先で、真白は何とも言えない顔をしている。

「ちゃんと、昨日みたいに言え。ひとりで全部解決すんな」
「え、……あぁ、うん。って痛い、痛い! しろ、こら。髪引っ張んな」
「おまえが分かってないのに生返事するからだろっ」

ぐしゃぐしゃ撫で繰り回して気が済んだのか、真白のどこか幼い指先が離れていく。それがちょっと寂しい。
憮然とした真白の顔を、見つめ返して、慎吾は微笑った。

「ありがと」
「分かってんのか」
「分かってる。だからありがと」
「おまえよくさ、おまえひとり我慢して済むんならそれでいいって思うだろ。でも俺との間に持ってくんな、それ」

これだけ真白が長々と喋るなんて珍しい。真剣に言ってくれているのも分かるから、その真意だけは逃さないようにしないと駄目だと慎吾は思った。

「俺としろとの関係?」

問いかけると、ほんの少しだけ視線を泳がせて、けれど真白はまっすぐ慎吾を見返した。

「付き合ってんだろ。同じだろ。だったら、偏らせんな」
「真白」
「どうしても嫌だったら嫌だって俺は言うだろ、絶対。だから変な勘繰りで遠慮すんな」

あぁ、それで。
あの唐突な男前なキスに繋がったわけか。
自分を見つめてくる真白の瞳は、なぜだか分からないけれど、昔からどうにもならない吸引力がある。そしてそれに自分は抗えない。

「じゃあさ」

真白の頬に手を添えて、その瞳を覗き込んだ。ずっと幼馴染みだった。親友と言うよりかは、兄弟――身内としての意識が強いんじゃないかと疑っていた。
それが急に恋人だなんて、真白は本当に順応できるのだろうかとも、思っていた。
だから、どういう触れあい方をしていいのか、どうしていけば真白に負担が少ないのかと探り探りだった。

けれど、それも逃げていただけなのかもしれない。

「キスしていい?」

甘い声だった。囁かれた先で真白は眉間に皺を寄せた。けれど、すぐに吐息の様な苦笑を落とした。

「今更、聞くな。ばか」

たまらなく愛おしいと、思った。言葉の代わりのように唇に触れる。緊張しているのは分かったけれど、もう一度啄むようにして交わった。
所在無く落ちていた真白の手が、ゆっくり慎吾の背に回る。
こそばゆくて、どうしようもなく幸せだと思った。そしてこれは慎吾ひとりでは、どうやったって手に入れられないものなのだ。

お付き合いくださりありがとうございました!