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お隣さんの誤算

なんだかなぁ、と慎吾は夢見荘に向かって歩きながら、ため息を落とした。

ここ最近、地味に苛々が募り続けている。原因は言わずもがなだったりするのだけども。
あの真白が。基本がマイペースで傍若無人な真白が、ここ最近、明らかに自分に対して遠慮している素振りを見せている。

おまけに、無駄に強心臓の持ち主であるはずの幼馴染みの情緒が、微妙に揺れている気がする。
おかしい。というか、あれだよ。
あんだけ俺といて、その俺の態度より、野々村さんに言われたなんかで、態度を変える訳ね。

結局、それがどうしようもなく不満だと言うその一言に尽きる訳なのだけど。


【お隣さんの誤算】


「おー、慎吾。こないだはごちそーさん」

夢見荘まであと50メートルの曲がり角で、ばったり出会った野々村に、慎吾は先ほどまで考えていたもやっとを飲み込んで、へらっと笑った。

「いや、いいっすよ、全然」

これからどっか行くんですか、と、もはや習慣のような愛想を振りまくと、「バンドの練習」と背負っていたギターを顎で野々村が指した。
あぁそういえばたまにギターの音聞こえてくるもんなぁ、とか考えながら、もう真白、寝てんだろうなぁと夢見荘に思考を馳せた。
あいつ昔から寝るの好きだからなぁ。11時には実際に寝ているかどうかはおいておいて、確実に布団にこもっている。
おまけに自分が一緒に夜ご飯を取らないと、なにも食べないままで寝るからなぁ。

「そういや慎吾、あのちびさ、彼女とかいたことあんの?」
「なんでですか?」

顔だけは笑ったまま、慎吾は質問に質問で返してみると、野々村は微妙に口を濁した。

「いやぁ、なんかいっちょ前に悩んでたっぽかったからさぁ、あのなんも考えてなさそうなのが」

ひどい言われようだなと思いつつ、慎吾は「いなかったことはないですよ」と事実だけは述べてみる。
中学くらいの頃、同級の女の子に告白されていたが、一週間で「真白くんって、つまんない」と身も蓋もない理由で振られていたことまで知っているけども。
それを彼女が居た期間としてカウントしていいのかどうかは、疑問ではあるが。

「まぁでも、おまえ相手じゃ言いにくいこともあんのかもな」

俺だって兄貴とかには言いにくいこととかあるもんなぁ、と勝手に一人で納得したらしい野々村は、けろっと笑った。
次いで、「でもなんか相談してきたら聞いてやれよ」と言い捨てて、そのまますたすたと歩き去っていく。
その台詞を脳内から速攻で消し去ろうとした慎吾だったが、積み上がりまくっている苛立ちがさらに上乗せされたのは、否定できない。

大人げないと言われようとも、慎吾は、昔から、自分が一番よく知っていると思っていたい幼馴染みのことを、他人に知った風に言われることが嫌いだった。


あれ、珍しい。とまたしても思ってしまったのは、階段を上って、真白の部屋を通り過ぎようとしたときだった。

11時回ってんのに、まだ電気点いてる。いや、消し忘れて寝てるだけかもしれないけども。
ちょっとだけ逡巡してから、慎吾は、ご飯を作りに行くとき以外は使わないようにしようと決めている鍵を鍵穴に差し込んだ。

珍しいと思うことが続くと、地味な焦燥感が募ってしょうがなくなる。
俺の知らないところで、俺が関係してないところで、変わってんじゃねぇよ。動かされてんじゃねぇよ。
そう思ってしまう自己本位甚だしいそれが、真白からしたら理不尽でしかないだろうと言うことも、ちゃんと分かっている。だから極力態度に出さないようにしているつもりなのだけど。

なぜかあの幼馴染みは、自分の感情の波を正確に読みとってしまう。


「しろー? まだ起きてんの?」

声をかけながら中に入る。と、本気で珍しいことに、布団の中ではなく、真白は机の上でパソコンを立ち上げて座っていた。あ、ホントに起きてた。
心持ち驚いた顔をされて、「いや、電気点いてたから」と言い訳しようとした矢先、あーと小さく唸って真白がずるずると寝転がった。「萎えた」

「萎えたってなにAV? 珍し」

全部睡眠欲にとられてるんじゃないかと思うくらい、性欲の薄い真白が。

「俺のじゃないけど」

転がったまま返ってきたそれに、慎吾は上がり込んで、パソコンをのぞき込んでみた。

「うわ、本気で珍しいの見てんね。なになに、どういう心境の変化、これ」
「だから俺のじゃねぇっての。痛そうなのとかなにがいいのかマジでわからん。うってなる。うって」
「じゃあなんで見てたの?」

わざとらしい甲高い声が響いている画面にちらりと視線を送って、再び慎吾はどこかふてくされたようにひっくり返ったままの幼馴染みを見た。
沈黙の中、無駄に高い声だけが響き続けている。
さすがにばつが悪かったのか、真白が起きあがって、ぶつんとパソコンの電源を落とした。

「つか、こういうときこそ見て見ぬ振りしろよ、おまえ」

まぁ確かに。内心そう思わないでもなかったが、慎吾はへらっと表情を崩した。だって気になる。

「いいじゃん。それこそ今更でしょ」

それもそうかと思ったのかどうでもよくなったのかは定かではないが、真白が「最近」とぶっきらぼうに呟いた。

「前にも増して性欲湧かねぇんだよ。さすがにこれはちょっと男としてどうなんだと」
「……でも、しろ、昔からホントないじゃん」
「だから増してって言ってんだろ。増してって。そんでその話してたら、野々村がそら刺激が足りてねぇんだろっつって」
「それでそれですか」

なんつう相談をよりによって俺以外の誰かにしてんだ、と、苛立ちを増やされて、慎吾は薄く笑った。

「つか、おまえのせいだ」

パソコンのキーボードに視線を落としたままの真白に言われて、慎吾は思わず「なにがだよ」と尖った声を出していた。
おまえのせいだ、とか、俺がむしろ言いたい。

「おまえが盛った猿かなんかみたいに、ヤリまくってんのが聞こえるから、だから俺のが麻痺してんだっつってんの」

毎晩毎晩あんな声聞こえてみろ、なんも感じなくなるわ、と、投げやりに吐き捨てられたそれに、慎吾は感情とは裏腹に「そっかぁ」と至って平常運転な声を出していた。

「そうだよ。だからちょっとは自重し……」

顔を上げた真白と視線が絡んだ瞬間、真白の声が途切れた。
あ、これは相当苛立ってんのが表に出てんなぁ、と、思ったけれど。結局いつも自分は、真白への好意を押し隠すだけで精一杯だ。

零れそうになるそれを、押し隠してひた隠して。でもそれだって、大切にしたいからだ。
昔からずっと、傷つけたいと思ったことなんてない。でも、そんな自制で利かないほど箍が外れそうになる時がある。

「ねぇ、しろー」
「……なんだよ」

引け腰の真白に、ここぞと慎吾は笑いかける。
そこまで喧嘩したこともないはずなのだけども、なぜか真白は機嫌の悪い自分が苦手らしかった。
と言うかそもそもが、俺よりよっぽど真白の方が沸点低いし、怒んないからなぁ。おまけにすぐに真白が面倒臭がるから、喧嘩が持続しない。

俺も真白も、なにを言ったら本気で相手が切れるとか、その辺りが分かってるってことなんだろうけども。
だからどうせこれくらいじゃ、どうせ真白はなにも思わないんだろう。俺と、違って。

「俺がそれなんとかしてあげよっか?」
「なんとかってなにがだよ。してくれる気ぃあんだったら、控えてくれたらそれでいいっつの」
「もっと直接的になんとかしてあげよっかってこと」

俺、巧いよ? と、慎吾は唇をにっこり釣り上げた。
怪訝な顔をみせた真白に構わず、距離を詰めて、崩していた膝に手をかける。

「なに、」
「だから俺が原因だっつんなら、解消したげるって。ほら、どうせ俺はしろと違って性欲有り余ってるし?」

そんなことを言いながら、手は勝手に真白のスウェットを下着ごとすりおろしていた。
まだギリギリ冷静な部分を残している頭が、止めておけと警告している。けれどそれと同じ頭で、真白は何も感じないとそう思っていた。

そう言う意味で好きなのも、特別に思っているのも俺だけだ。ずっと俺だけだ。

「ちょ、なに……おまえ」

怒ってんの? と困惑した声が降ってきて、慎吾は笑った。

「しろの中で、今の流れで俺が怒る要素あったんだ?」
「そういうわけでも、ないけど。でも怒ってんじゃん」

こんな感情の波は、すぐに気付く癖に。八つ当たりだと分かっていながら、それでもそう思ってしまう。
俺の「好きだ」と言うそれに気づいてくれたらいいのに。
萎えきっているそれを掌で包んで緩く抜くように動かすと、真白が小さく息を呑んだ。

「うん、大丈夫、大丈夫。ちゃんと反応してるじゃん」
「そりゃ、触ったらなるに決まってんだろ。っつか、もういいだろ」

からかわれてるにしても楽しくない、と、真白の指先が動きを止めさせようと延びてきた。その手を逆に掴みとって、唇で性器に触れる。
小さいころは一緒にお風呂入ったりしたこともあったけれど、最後にこんな風に見たのはいつだったかなと思った。
舌先でゆっくり舐め上げると、真白の身体がびくりと震えた。

「でも、しろ、誰かに触られんのとかも初めてじゃないの? 最後までやったげるって」
「いらね……っつか、なにしてんだよ、おまえはっ」

馬鹿じゃねぇの、と声を震わせながら、もう一方の手で、真白が頭を掴んだ。
「悪乗りしすぎた」と謝るなら今だな、と頭の片隅で思いながらも、慎吾はその行動を取れなさそうな自分を自覚していた。

暴走しかけているのもどこかでしっかりと自覚していて、なのに止まりそうにない。
これはよくない。今まで我慢していた意味がなくなる。そうも分かっているはずなのに。

咥え込んだまま、舌を這わす。緩慢な刺激に、真白が声をかみ殺したのが分かった。もっと知りたい、と思ってしまった。
見上げるようにして視線を上げる。顔を覆っていた指の隙間から、どこか熱に潤んだ瞳が見えた。

「慎……吾ッ」

イきそう、と、呼吸と一緒に吐き出された台詞を理解しても、離そうと思えなかった。「慎吾」と懇願するようにもう一度真白が呼んだ。

あぁなんか、すっげぇ腰にくる。もっと見たい。そう願った瞬間、口内に熱いものが飛び出してきた。
何の躊躇もなく呑みこんで、ようやく唇を離す。
喉に引っかかるなぁと思ったけれど、真白のものだと思うと、まずいとも濯ごうとも思う気になれなかった。

ちょっとやりすぎたかな、と少しだけ冷えた頭で反省しながら顔を上げた慎吾は、飛び込んできた光景に、集まっていた熱が一瞬で砕け散っていくのを感じた。


「真白?」

恐る恐る呼びかけると、呆然としていた真白の眼に力が戻ってくる。
真白のことだから、「馬鹿じゃねぇの、おまえ」程度の不機嫌さで終わるんじゃないかと見積もっていたのが崩れ去っていく。
やばい、とさっきとは180度違う意味で考えながら、慎吾はどうしようもうなく焦っていた。

「ごめん、真白。……びっくり、した?」

そう言う問題じゃないかもしれないけれど、それ以外に言えなかった。

「……最悪」

吐き捨てるように呟かれたそれは、ひどく震えているように慎吾の耳には聞こえた。

「おまえ、最悪。訳わかんねぇ。何考えてんの」
「なにって、」

言えるわけがない、と慎吾は口をつぐんだ。
それをどうとったのか分からなかったけれど、真白は俯いたまま頭を振った。

「もう、寝る。飯とかいらない」

頑なな台詞に、もう一度だけ「ごめん」と慎吾は繰り返した。
先ほど一瞬感じた喜びのような感情なんて、既に霧散しきっていて、困らせた、怒らせた、と言う自己嫌悪が果てしなく膨らみ続けている。

これ以上ここにいるのは、真白にとって良くないのかもしれない。自分への言い訳のようにそんなことを考えながら、それでも、と慎吾は笑った。
なんでもないよ、と。気にしないでいいよ、と告げたかった。

「いつでもまた、言ってね。そしたらご飯作りにくるし」

真白は何も言わなかった。「じゃあね」とぎこちなく笑んで、慎吾はゆっくり立ち上がった。
背を向けてドアを開けた瞬間、

「俺もあいつらも一緒じゃねぇかよ」

と言う声が聞えた気がした。



【END】

お付き合いくださりありがとうございました!