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お隣さんの懸念

さて、どうしよう。

久しぶりに真白の部屋に上がりこんだものの、慎吾は内心結構悩んでいた。
とりあえずせめて気まずくならないように、と、笑顔を張り付けてみたはいいものの、うん、これ、どうしたらいいのかな。
こうもぐるぐる考えてしまうのが、何故かと言えば。

「慎吾ー、腹減った」

シンクに立っているのを良いことに、現実逃避していた頭を暢気な声で引き戻させられて、「うどん茹でてるだけだからすぐ出来るよ」とへらっとした声を出す。
うん、なんでだ。

「早くしないと、俺、マジで寝る。めちゃくちゃ眠い」

そんな台詞と同時に、ぼすっと倒れ込んだ音まで聞こえてきて、なんでだ、と、もう一度慎吾は項垂れた。
なんで真白は、あんなけろっとしてるんだ。


【お隣さんの懸念】


いや、別にギスギスしたかったわけでもないんだけどね。

でもなんて言うか、ちょっとくらい進展あってもいいんじゃねぇの、とか思ったりもしてたんだけど。
全然ですか。と言うことはあれですか、あの想定外の反応は、なんか真白さんの虫の居所が悪かったとか、そんなあれですか。

「はいどうぞ」と土鍋ごとうどんを差し出しながら、聞いてもいいのかな、これ、と慎吾は目の前の幼馴染みの様子を観察してみる。
件の相手はと言えば、本気で眠たそうに瞼をこすりながらも、食欲はあるのかもそもそと箸を動かしている。

「ねぇ、しろ」
「……なんだよ」

怪訝そうに、真白が顔を上げた。いつも通りだ。まったくもって通常運転だ。
おまえ、あの情緒不安定っぽかったあれはどこに脱ぎ捨ててきたよ。若干イラッとしつつも、見慣れた真白の態度に安堵しているのも隠しようがない事実だった。

「と言うか、あの、ごめんなさい」

が、まずは謝らないと駄目だ、と、思うのは、間違いなくいろいろと自分が悪いと言う自覚はあるからだ。机に向かって頭を下げると、沈黙の後、うどんを啜る音が聞こえてきた。
どんだけマイペースだ、と、微妙に緊張しながら真白の応答を待っていると、けろっとした声が返ってきた。

「何が?」
「いや、あの、何がと言うか」
「何がってか、どれが? 今日のだったら、おまえいい加減適当に遊ぶのやめよ。俺っつうかあっちが気の毒だよ、さすがに」

ん? と、予測とは違っていたそれに、慎吾は顔を上げた。てっきり面倒なことに巻き込むんじゃねぇと罵倒されると思っていたんだけれども。そんな慎吾に、真白は呆れたように箸を置いた。

「おまえが遊びでもあっちは違ったんだろ。だったら駄目だろ」

おまえが最悪だ。と淡々と告げられると、慎吾は「そうですよね」と身を縮めることしかできなかったのだけれども。真白が言うと若干の違和感はあるが、正論だ。

「あと、この間のは、だけど」
「……はい」
「悪乗りしすぎだ、バカ」

その一言で言いたいことは言い終わったのか、真白はまたうどんに戻っていた。

……うん。真白だなぁ。
そんな乾いた感想しか持てないまま、慎吾はちょっと項垂れた。
これ、俺が相当はっきり何かしたり言ったりしない限り、どうにもなんないんだろうなぁ。

食べ終わるや否や、「マジ眠い。限界」とぐずりだした幼馴染みに、俺は本気でおまえの母親かなんかなのかと思いながらも、「寝るのはせめて歯ぁ磨いてからにしろ」と言ってしまっていた。
こんなんだから、いつまで経っても真白の保護者から昇格できないんだろうか、とふと嫌な未来を想像してしまって、慎吾はふるふると頭を振った。

それはちょっと、さすがに嫌だ。なんというか、こう、もうちょっと甘いのが良い。

「だって眠い。俺、最近、眠れなかったんだって」
「……しろが?」

あの年中昼寝してるようなおまえが。
そう考えているのが顔に出ていたのか、真白は不満そうな顔をした。

「俺だって、寝れねぇときくらいあんの」
「へぇ、まぁ眠くなって良かったじゃん、それなら。でもそれとこれとは別だからね、ほら、今起きてとっとと磨く。そんでついでに着替えなさい」

そのまま転がったら起きれなくなるよ、と、脅すと、真白は案外素直に身を起こしていた。
その間に洗い物だけしてやって、俺も帰って寝るかなぁ、と段取りを組み立てていると、立ち上がった真白が「なぁ」と見下ろしてきた。

「なに? どうかした?」
「おまえ、帰んの?」
「その、つもりだけど?」

いつもそうだよね、と、首を傾げると、何故か真白は微妙に眉間に皺を寄せている。

「べつにいいじゃん、ここで寝たら。どうせ明日の朝も来るくせに」

さも当然、と言われたそれに、慎吾はうっかり固まってしまった。いや、いやいやいや。真白に何の他意もないことは分かってるんだけども。

「え……って言うか、狭くない?」
「寝れるだろ、べつに」

だからいいじゃん、と決定事項の台詞を吐いた幼馴染みは、洗面所兼用の風呂場へと消えて行った。その背中を目で追いかけながら、慎吾は頭を抱えた。
なんの試練だ、これは。

しゃこしゃこ歯を磨く音が聞こえてきて、とりあえず後片付けだけはしておこうかな、とマメな男はよろよろと台所へと足を向ける。
レポートやらないとまずいとでも言って帰ろうかな、と後ろ向きなことを検討しながら、鍋を洗っていると、歯磨きを完了させたらしい真白が隣に来た。

わざわざ隣に立たなくていいのに。と言うかこいつは俺に対する警戒心を生み出す気はないのか。いや、ないんだろうな。

「帰んの?」

そこでその駄目押しをしてくるのは、俺に「帰らないよ」と言わせたいからなんでしょうか。
慎吾は溜息を呑みこんで、土鍋の水気を切った。

「ここで寝てもいいんだけどさ。今までそんなこと言ったことなかったじゃん。急にどうしたの?」
「いやべつに。なんとなく。だって面倒臭くねぇの、おまえ。いちいち」
「いや、うーん、そうでもないけど」

曖昧に笑い返すと、真白はじっと見上げてきた。なんか分かんないんだけど、この目、すごい求心力あるんだよなぁ。黒いからかな。

「おまえがいないと、なんか眠れない」
「……え?」

だから責任とれよ、あほ。呆然としている間に、真白はそう言って、ベッドに潜り込んでしまった。
その塊を背にして自分の部屋に帰れるようなら、俺は多分、こんなに困ってないんだろうなぁ。
慎吾は自身に苦笑しながら、ちょっとだけまっててね、と声をかける。

もうなんて言うか結局、惚れた方の負けってやつを地で言ってしまっているのが自分なのだろうなと慎吾は思った。

「って言うか、しろはさぁ。俺に警戒心ってものは持ってないの」

まぁもう別に何でもいいんだけどね、と思いつつ、ぽろりとそれが零れ落ちてしまったのは、ちょっとさすがに聞いてみたくなったからだった。

あと強いて言うならば、今のこのあっけらかんとした通常モードの真白なら、これくらい聞いてみたところで何ともなさそうだと思ってしまったからで。
次いで言うなら、あの日、何を考えてたのかも教えてくれたら嬉しいなぁ、と言うか、それが分かったら儲けもんだなぁと、半ばやけっぱちに考えたからなのだけれども。

もぞもぞと寝心地のいい場所を探して布団の中で暴れていた幼馴染みが、怪訝そうに視線だけを寄越してきた。

「なんで?」
「なんでって、えーと、……うん」

なにが「うん」なんだ、と自分自身にうんざりしながらも、慎吾は「だってさぁ」と出来るだけなんでもないことのように続きを吐き出した。

「俺、ほら、男でも恋愛対象にできるじゃん。しろも知ってるでしょ? 身持ちも超軽いよ?」
「まぁ、なぁ。おまえ、ホント軽いよなぁ」
「そこなの、しろの同意ポイントは。って言うか、だからそうじゃなくて」
「そうじゃなくて、なんだよ」

早く言わないとマジ俺、寝るからな、とそう続けられて、「だよねぇ」とは心底思った。
って言うかそもそも、俺がいないと眠れないってのもなんなのよ、と思わなくもない。
むずかるように目を擦っている真白の頭を、あやすようにかき混ぜながら、慎吾は小さく息を吐いた。

「だから、こうなんて言うのかな。うっかり自分に手ぇ出されたらどうしよう、とか」

言った瞬間、微かに空気が強張った気がした。それは自分が緊張したからなのだろうけれど。慎吾が答えを待っていると、真白はぼそっと「ないだろ」と呟いた。
その答えを分かっていたはずなのに、慎吾はそれでも何か重いものを呑みこんだような気分になる。
俺は、そう言う対象として、たぶんずっと、見てるんだけどな。

撫ぜていた真白の頭から手を離すと、伸びてきた真白の手がそれを掴んだ。子ども体温の暖かい真白の熱が伝わってくる。

「しろ?」
「おまえのそれが、どこまでのを言ってるのか知らねぇけど」
「……うん」
「おまえはしないだろ」

その信頼はどこから来てるのかなぁ、と慎吾はひっそり苦笑した。
って言うか、この間したじゃん。そんでおまえ、すごいびっくりしたって言うか、下手したら泣きそうな顔してたじゃん。
俺がどんだけビビったと思ってんの。

自分から聞いてみたくせに、どういえばいいのか分からなくなってしまって慎吾は黙り込んだ。このまま黙っていたら、真白は寝てくれるかな、と思った。
そうして起きたら真白の望む日常だ。そんなことをぼんやり思索していたせいで、不意に響いた真白の台詞の内容を理解することが、慎吾は出来なかった。

「え? ごめん、しろ。もう一回言ってくれる?」

視線を落とすと、何故か握り合った状態になっている手が視界に飛び込んできた。真白の黒い毛先がシーツに飛び散っている。

「だから、そう言うの俺にしたいのかって、聞いたんだけど」
「……」
「違うのか?」

なんでそんな話の流れになったんだろう、と、直前の会話を脳内で再現してみたが、ちょっとその謎は解けそうになかった。
慎吾が固まっている間に、「違うならいいけど」と真白が目を閉じた。
混乱しながらも、それをこのまま有耶無耶にしてはいけない気がして、慎吾は「真白」とはっきり名前を呼んだ。

いつからか分からないけれど、その名前を呼ぶだけで、たまらなくなりそうになっていた。
それを誤魔化したくて、「しろ」と愛称で呼ぶようになってしまっていたけれど。
ついでに軽く肩をゆすると、大儀そうに真白が目を開ける。まるで抱き込んでいるような状態になっていることに気が付いて、少しためらいながらも、慎吾は問いかけていた。

「真白は、そこで俺が「うん」って、そう言ったらどうするの?」

質問返しをするようにして逃げているのは分かっていたけれど。聞かないではいられなかった。

「なんでって、聞くけど」
「じゃあ、俺が真白が好きだからだって言ったら?」

言った瞬間、まだ早かったかもしれない、と思った。でも、真白がそんな風に聞いてきたのは、初めてだったのだ。

「その好きってのは、なんなの?」

ひどく平然と、真白は聞き返した。慎吾は少しだけ考えて答えた。

「誰よりも一番特別に、好き」

結局それが本音なのだ。好きだから触りたいと思うけど、同じだけ好きだから真白の好きなようにいてほしいと思う。
じっと真白の黒い瞳が慎吾を見つめていた。そしてゆっくり一回瞬いた。

「べつに、いいよ」

真白の手が、握りこんでいた慎吾の指先をきゅっと強く握った。

「おまえの特別だって言うんなら、べつにいいよって、俺は言うと思う」

その意味を理解するのに、少し時間がかかった。それは果して、真白にとって恋愛なんだろうか。家族愛の友情の延長戦なのだろうか。

「俺がキスしたいって言っても、真白はそれを受け入れられるの」

真白は少し考え込むように視線を落として、それから首を伸ばした。唇に真白のそれが微かに当たる。「大丈夫」と真白が小さく声を落とした。「おまえ、今試したの」とからかう余裕はもうなかった。

「おまえがいないと、眠れない」

いつかの夜と同じように、真白が頭を胸元に摺り寄せてきた。
たまらなく愛おしいと思った。


【END 】

お付き合いくださりありがとうございました!