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嘘吐きな恋人《11》

「しろ、」

しゃがみこんだまま視線を巡らせば、ドアのところにしろが立っていた。


「どうしたの、千沙。すごい顔色悪いけど」

慌てて駆け寄ってきたしろが言ったそれは、その通りなんだろうと思う。

――でも。
あわせるように膝をついて、俺の顔に伸ばしてきたしろの手を、反射みたいに俺は振り払っていた。
苦しい。痛い。
でもそれは、身体じゃない。違うのだということなんて、もうずっと思い知っている。

「千沙、俺、いない方がいい?」

今までずっと、そんなこと言わなかったくせに、しろが言った。中途半端に俺との間に浮いていた手を握りしめて床にしろが下す。
しろの顔を見たくなくて俯けば、その握りこんだ手ばかりが視界に入った。震えているように思えてしょうがなかった。

なんでそんなことを言うんだと、ここでそれが俺を言うのは間違っているのだろうか。
俯いたままの俺にしろがやたら優しい声で問重ねてくるけれど。

「どっか痛い? きついんだったら先生呼んでこようか。保健室まで行けるんだったら着いてくよ、千沙が嫌じゃなかったら」

口を開いたら、どうしようもないものが溢れてきそうで、何を言えばいいのか分からなくなる。
ずるいと思う。かみしめた唇が切れたのか、血の味がした。
応えれないでいると、小さくしろが息を吐いた。先生呼んでくるねと膝を持ち上げかけたしろのシャツを、気が付けば俺は握りしめていた。

「千……沙?」

驚いたようなしろの声。でもすぐにまたしろが膝をついたのが分かった。視線をほんのちょっとあげればいい。そうすればしろが今どんな顔をしている分かる。
でもこの期に及んで、それはできなくて。やっとの思いで絞り出した声は、ひどくかすれていた。

「行くな」

一度あふれ出したそれは、とどまることなんて知らないみたいに内側からどんどんどんどん流れ出してくる。

行くなよと、本当は、ずっとずっと言いたかった。
なんで俺を置いて行くのだと。俺以外の誰かの傍にいるのかと。
どこかに行くのなら、せめて完璧に俺を捨ててからにしてほしいとさえ思った。
なのにしろは絶対にそれをしないから。

俺を置いてどこにでも行くくせに、俺が同じ場所で待っていると信じて疑わないような顔で笑うから。

「俺は、おまえが傍にいると苦しい」

吐き出した瞬間、しろのまとう空気が緊張したのが分かった。俺と一緒にいて千沙は楽しい? そうしろが尋ねた時、言えなかったのはこれだ。
傍にいると苦しい。でもそれだけじゃないから、たまらなくなってしまっているのに。

「でも傍にいなくても苦しいんだ、なぁ、もうこれどうしたらいい?」
「千……」
「どうしたら楽になれる?」

楽に、なりたかったのかもしれない。
しろを忘れて、付き合ったことも好きだったことも、大切だったことも、全部全部、ぜんぶ、忘れて。

なのに、言い聞かせても思い込ませても、結局できなかった。

――振り回されるのは俺がしろを好きだからだ。

だから、苦しい。
好きだから、特別だから、傍にいてほしい。俺だけを見てほしい。そう思うのは、当たり前なんじゃないのか。

躊躇うように揺れたしろの手が、肩に触れた。
その体温を感じた瞬間、あぁもう駄目なんだと自覚する。

俺は、きっと、離れられない。
どれだけもういいのだと、捨てたいのだと言い聞かせたところでできなかったのと同じで、きっとそれはこれからもできない。

「千沙」

ぎゅっとしろの手が背中にまわったと思った時には、しろの腕の中に抱き込められていた。振り払えなかった時点で、俺はこれを望んでいたのかもしれない。
そう思えば思うほど、自分が馬鹿みたいでしょうがなかった。
しろにとってこれはただ宥めているだけの行為で、たぶん、俺以外の誰かにでもできることで。

なのに俺には特別に思えて、胸がしまってしょうがない、だなんて。

「千沙」と繰り返し俺を呼ぶしろの声が、どこまでも優しくて切なくて、大切なものを呼ぶように聞こえるのも、願望なのかもしれないけど。

「大丈夫だから」

何がだと、確かに思った。そんな声で、また嘘をつくのか、と。でも。

「俺は絶対、ここにいるよ。千沙の傍にいる」

その真摯に聞こえる声を、暖かい温もりを、信じたかったのは俺だった。
縋りつくようにして、しろの名前を口にする。こんなところで何をやっているのだと思わないでもなかったけれど。
またこの場限りの嘘なんだろう。そうどこかで思いながらも、それでも俺は信じていたかったし、本当はいつも信じさせてほしかった。

離れていても苦しいんなら、一緒にいたいと願ってしまった時点で、きっと俺の負けだったんだろう。

お付き合いくださりありがとうございました!